人の生涯の最大テーマは、孤独ではないだろうか。

人は、母の胎内から誕生、しばらくは自他の識別ができない。

成長につれ、自他の境界が鮮明となり、思春期で自我が確立する。

他人は、自分とは全く異なる人間で、他人のこころは、

自分の経験をもとに推測するしかないと分かるようになる。

推測なので、他人のこころの実像は、

あいまいで霧に隠されて見えない景色のようです。

 

いくら恋焦がれても、相手に伝わるわけではない。

愛や友情のもろさの原因もそこにある。

相手の気持ちを推しはかるのは難しい。

そして、自分の気持ちを確かめるのも同じくらいに難しい問題。

人は自分のこころさえも、充分に把握できない頼りない存在です。

 

孤独感が生まれるのは、自分のこころがあやふやであり、

そして、他人のこころもつかみどころがないという、

人間のあり方と深く関連している。

 

青春時代、一般的に、人に対する期待は大きい。

自分も他人もきちんと見えていないからです。

期待が裏切られれば、不信や失望や自信喪失が起こり、

他人と切り離されているという孤独感も高まる。

ういうとき、

孤独感を忘れさせる人との交流の楽しみや、

他人の評価を気にしない強い自尊感情が役に立つ。

多くの人から認められるというのが、孤独感を癒してくれる。

そして、精神的自立が生きるテーマとなる。

 

中年になると家族もでき、職場での役割も高まり、

人間関係も広く深く忙しくなり、孤独感に悩む暇がなくなる。

一方、離婚や失業などで、人間関係が崩壊すると、孤独感に晒される。

そんな時、失われた関係を新たに作るか、

それとも孤独に耐える道を探求するしかない。

 

老年になると、家族も自立していき、職場もなくなり、

再び、若い頃と同じように、自己確立を迫られる。

自立した精神で生きていけるようにならないと、

孤独感から解放されない。

 

人の精神的自立とは、どういうことでしょうか。

人は不完全な存在です。

自分のことも分からなければ、人のことも分からない。

何と云うたよりない生きものでしょう。

どんなに賢明に学んでも、生涯、愚かなままです。

死ぬまで過ちを犯し続ける生きものです。

どんなに努めても立派な聖人にはなれない。

 

そういう人間ですが、救いはある。

自分の代わりがいくらでもいるという単純な事実です。

あなたは、この世にただ一人の特別な個性かもしれませんが、

人と人の違いは、微々たるものです。

あなたが死んでも、代わりはいくらでもいる。

 

自分がこの世で唯一人ではない、

似たような人が沢山いるという事実を知ることこそ、

孤独感を癒してくれるものはないと思う。