うまく生きていけないのは何故だろう。
生まれながらの重病や重度障害。
幼少期に受けた親からの酷い虐待。
あるいは、学校時代の残酷ないじめ。
人には、様々な試練がある。
私の父は、過保護という試練。
母親の過保護。
たぶん、自分の能力を発揮する機会を、
ことごとく、つぶされたのだろう。
大正9年生まれ、一人っ子。
家は裕福な方。
小学高学年で革靴で登校。
学校に着いて、靴紐のほどき方が分からず帰宅。
そんなエピソードが一杯。
私が長男で、再び祖母の過保護で育つ。
幼稚園は祖母と一緒に通学し、一日中隣に座る。
与えられた課題を独力でしたことがない。
小学校にも祖母は付いて来たが、追い返された。
私は独りで何もできない。めそめそするだけ。
小1の担任の女教師がやさしくて、
私だけ抱っこしてくれたようだ。
私の試練は小5から吃音。
これを乗り越えるのに、10代と20代を費やした感じ。
父は94歳で死ぬまで誰かに頼る人生をまっとうした。
すばらしい。誰にもできることではない。
私も過保護に育ったが、吃音のお陰で、
精神的に強い人間になった。
強い人間になっても、
何でもできる訳ではない。
できることしかできない。
うまく生きているという自覚はないが。
自分の人生を振り返り思う。
確かに、自分のことよりも社会や人のために動く人生だった。
特に。40代と50代はボランティア中心。
うまく生きているように見えたかもしれない。
そこで、
うまく生きていけない人は、何故かと思う。
たぶん、自分との折り合いがうまくできない人でないだろうか。
突っ張るか、自分を殺すか。
私の父は、自分を殺し続けたのだと思う。
常に世間体が大事で、外面はよい。
遊びは、たまに泥酔する程度。
私が何故、自分と折り合うことができたのか。
それも、努力ではなく幸運のお陰かもしれない。
良いことがいっぱい起こっている。
人生の試練を、良いことのように感じる。
それが、うまく生きるコツだろうか。
そうならば、
うまく生きていけない人は、試練をチャンスにしない人かもしれない。