民主主義のバージョンアップを、その2
 
どの社会でも、既得権層がいる。
現状が続く方がいいと思っている人々。
日本では、約半分近くになるだろう。
不満を抱く層は今のところ、日本で多くない。少数派だ。
 
前のブログへのコメントで、
破局がこないと変化ないだろう、という意見が。
私も正直、そういう感じを抱く。
とても悲観的な見方だが。
 
社会を住みやすくするのは、社会奉仕の精神。
ボランティアの精神。
 
しかし、日本の道徳は違う。
先輩や先生や既成価値(秩序)を尊重するのが、基本。
教師から指示されれば奉仕活動するが、自発的にはしない。
これは、会社など、全ての組織、団体で共通理念。
 
奉仕は、ユトリがある者がすること。
庶民は実利があるときだけ。
日本の場合、奉仕は神への奉仕ではない。
 
自分の身銭を切って自己負担で、進んでコトを行う。
というような愚かなことは、普通の人はしない。
それが、日本ではふつうの道徳。
 
政治家や活動家の評判がよくないのも、日本の特徴。
綺麗ごとばかり言うが、裏で何しているのか分からない。
 
日本は神武以来、お上が君臨してきた。
お上に任せるのが一番。この伝統は簡単に変わらない。
 
学生たちの意識調査で、
約半分が社会のためになることをしたいと、答えている。
成人の意識調査でも、
約10%がボランティアしたいと答えている。
日本でボランティアするのは1%程度だとしても、
100万人はいる。その多くは、祭りや清掃や行事の手伝いだろうが。
そして、政治関連のボランティアは、圧倒的に少ない。
 
要するに、日本でボランティアは希少。希少すぎて、変人扱い。
だから、先日のボランティア爺さんも話題になる。
 
学校の教師や行政職員。
仕事がら、もっともボランティアを必要としている。
ボランティアの重要性を認識しているはず。
それなのに、
教師や行政職員が退職後、ボランティアを一生懸命に
やっているという事例は少ない。
 
退職された教師は、相当な数にのぼる。
その方々が、学校の現場に戻り、
現役の教師の手助けをすれば、実務に通じている訳だから、
とても有効だと、私は思うのだが。
 
日本社会で、ボランティアを増やすことができないとすれば、
実利で社会奉仕のモチベーションを高めるしかない。
 
幸いに、スマホなどのアプリを使えば、
地域通貨でもポイント付与でも、
多様な得点の仕組みができる。
これと、社会奉仕を結びつける。
これしか、道はないと思う。

つづく