今日の新聞、フランスのバカロレア問題があった。

多分、制限時間90分だろう。

 

第一問、自分の権利を擁護することは、自分の利益を擁護することだろうか。

第二問、自分自身の文化から自由になれるだろうか。

(フランスの大学入学資格試験の理系課題から)

 

直感と思いつきでやってみよう。制限時間30分で。

 

第一問への解答。

 

権利とは何か。

まず、生存権。すべての人は、生きる権利、生きる自由、

幸福な人生をまっとうする手当てを受ける当然の権利がある。

 

勿論、生存権なるもの、昔はなかった。

人は誕生した国や環境や時代や親によって、未来がほぼ決定されていた。

そこでは、個人の自由はない。

奴隷として生まれれば、死ぬまで奴隷だった。

 

現在の人類社会に、人の生存権はあるか、と言われても、

非常に限られた人にはあるが、大多数にはないと答えるしかない。

 

そこで、問い、自分の権利を擁護することは、自分の利益を擁護することだろうか。

当然、自分の利益にもなるだろう。

 

しかし、権利が広く認められていない社会や国や環境では、

権利を擁護すること、それ自体が周囲の抵抗や非難を受ける恐れがある。

とても、勇気を要する行動となる。

自己の利益を犠牲にする可能性もある。

しかし、それでも、権利を擁護することは、

権利が侵害されている人々を間接的に支援することになる。

その点で、自分の利益というよりも、

多くの人々の利益になると、考えるのが、

一番、正しい考えになると、私は思う。

 

 

第二問、自分自身の文化から自由になれるだろうか。

私の解答。

人は、社会的動物であり、生まれた環境や親によって、

どのような成人になるかが、ほぼ決定される。

 

日本に生まれれば、日本語を話す。

中国に生まれれば中国語(ただし、ある地域の中国語)

 

考え方や、行動の仕方、生活習慣、

人の行動様式のすべてが、環境で決まる。

 

何が正しいのか、ものごと基準。

それらも、時代や環境で決まる。

 

時代や環境から自由になれるとしても、

ほんのわずか。

 

例えば、21世紀の人に、テレパシーのような能力はない。

しかし、人類が進化すれば、もっと違う能力が生まれる可能性がある。

もし、人がテレパシー能力をもつようになれば、

社会生活も随分、変わるだろう。

他人への思いやりや、共感といった能力も、

格段に進歩するだろう。

 

そうなれば、人類社会も、お互いのコミュニケーションが

より深く、内容の濃いものとなり、

民主主義や子育てや教育というものも、

よりいいものに変わる可能性がある。

 

書くに要した時間は、27分。

解答文の見直しはなし。