ひとりの方が満ち足りて過ごせる晩年を除き、
人は、親しい知人に囲まれる生活の方が、幸せだろう。
勿論、人の数は重要でない。
少数でも親友がいれば、最高。
私の場合、多いときでも、50名弱だった。
仕事上の友人は皆無だったが。
すべてボランティア関連。
ボランティアを止め、付き合いも激減した。
独りの時間が増え、ネット上の付き合いが増えた。
少し古い調査(2005年)、無作為の1万3千人が対象。
ネットに費やす時間と、孤独や不満の関連を調べている。
時間の長さと、孤独や不満感は正比例になるという。
ネットで情報収集や著述などの作業をしている人は、
とても便利だから、満足感は高いと思う。
チャットやボヤキやあら捜しなどの暇つぶしをしている人たちは、
リアルな世界で、友人や知人と対面してのおしゃべりに比べて、
不満が高まるのが当然だろう。
自分の気持ちや思いが、どこまで理解されたのか、
ネット上では、まったく不明なのだ。
ネットではアフターケアーができない。
付き合いの発展もできない。
ネットで一時間費やすのは、
友だちと一時間過ごすのに比べて、
5倍も孤独感が高いという調査結果だった。
しかし、現実の世界で、友人をつくるのは、簡単でない。
友人は、商品でない。
市場で見つかるものではない。
完全競争など、とても不可能。
婚活もむずかしいが、
そもそも、
友だちをつくることが困難、
それが現実。
どこに行けば、友達ができるか。
教師も親も先輩も教えてくれない。
昔の社会は、そういう心配はなかった。
子どもたちは、子ども組や若者組などの集団で育つ。
同一年齢だけの集団ではない。
異年齢の集団で、年上の子が指導する。
成人すれば、職業別に集団ができる。
人は、異年齢集団の中で生きる。
それが伝統的社会だった。
現在、学校教育はあるが、集団は作らない。
同一年齢で、集団作りは難しい。
リーダーが生まれないからだ。
いじめや抗争は起きやすいが。
卒業すれば、青年はバラバラになる。
各人が好みの進路に進む。
大学も会社も、商品市場。
能力を売って、対価を得るだけ。
必要以上のベタベタした人間関係は嫌われる。
仕事のじゃま。
仲間や友人や知人が少ない人々の大量生産。
それが、現在社会の仕組み。
これでは、人々は幸せになれない。
地域社会を見ても、
趣味サークルなどは、おおむね高齢化。
メンバーも固定。
若者たちのグループは少ない。