病気や生まれながらの顔面の奇形。

顔の印象が人に与える反応は非常に大きい。

 

ある人は、化け物のように感じる。

多くの人は、近寄ることを避ける。

 

今朝の朝日の特集記事によれば、

「おまえになんか、基本的人権はない」と中学時代に、

男子から言われたという女性の実例。

 

また、異性と付き合っても、結婚を前にして、

「世間の目があるから」と親に反対されたりする。

 

当事者を支援するカウンセリングも、

「自分を肯定できない人が多い」という。

 

思うに、人の奇形は外見だけではない。

私の場合では、

若い頃から、女性のかわいらしさや美貌に

あこがれを抱いていた。

女性を外見で判断する傾向が強い。

 

大学のとき、

「いのうえ君は、女性を顔で見るのね」と言われたことがある。

まさに、そのとおり。

痛いところを突かれた。

 

長く生きて、少しは苦労したにもかかわらず、

女性を顔で見るという偏執さは治っていない。

これは、こころの奇形かもしれない。

 

こころの奇形も、なかなか完治しない。

たぶん、死ぬまで続くかもしれない。

 

ときに空想してみる。

もし、若い頃に、顔面や身体に障害のある人と結婚していたら、

あるいは、私のこころの奇形も、いくらか良くなっていたかもしれない、と。

やはり、実体験するしか、乗り越えられない問題の一つだろうか。

 

生きている人は、

ひとり残らず、こころに奇形をもっている、と私は思う。

多くの人は、気付かないままに死を迎えるのだろう。

 

こころの奇形には、いろいろある。

多くは、こだわりのようなもの。

偏った感性。

特定の観念やことやモノへの異常な好み。

 

犯罪者や政治家やタレントや宗教家などには多いと思う。

こころの奇形は、常人にはない強いエネルギーを与えるからだ。

 

お金儲けに人生をかける人たちも、

何か秘められたこころの奇形があるのかもしれない。

 

こころの奇形を癒すのは、

難しい。

まず、気付くこともできない。