私の吃音は10歳から。
「吃音なんて障害の中に入らない。軽いものだ」
という意見を持つ人は多い。
実際、吃音を理解するのは、当事者以外では難しい。
吃音者本人であっても、受け入れがたいもの。
私の場合、50歳で吃音完治。
それから、ようやく、吃音の恩恵に目覚め始めた。
今では、吃音の経験を、むしろ、自慢にしている。
天使(娘)が重度障害者となり、まる7年になる。
お陰で、障害について少し学ぶようになった。
最大の知見は、
子どもが重度障害になると、親が幸せになる。
という簡単な真実。
この知見を、普通の人に言っても、
なかなか理解してもらえないが。
体験しないと、わからない事柄の一つだろう。
三島由紀夫の有名な「金閣寺」。
吃音の見習い僧が主人公。
モデル小説であるが、100%の創作。
三島が30歳頃の作品で、登場人物も20歳くらい。
吃音など障害者たちが主人公。
障害者心理のある面を的確にとらえている。
まるで三島の自分史を書いているような生々しさ。
しかし、私に言わせると、病的。
こんな偏屈な感じ方をして、よくマトモニ生きられるものだと、
むしろ、感心する。
由紀夫さんの病的な感性を露骨に表す。
まるで、生涯を暗示するよう。
三島さんを見ていると、
才能をもって生まれた人の生き方を考えてしまう。
もし、人並すぐれる能力を自覚するなら、
どのような進路を選ぶべきか。
私は、不得意な方向を選ぶ方が、ためになると思う。
人生の岐路で、道に迷う時、
より険しい困難な方を選ぶのが正しいことが多い。
得意なことをやっていたのでは、
天狗になるだけ。
どこかで有頂天になり、失墜する。
不得意な方向に進めば、
すごい苦労するだろう。
しかし、人間として確実に成長できる。
例えば、出生前診断で、障害ある出産の可能性が指摘されたとき、
どうすればいいか。
障害児を受け入れることは、
まさに、人生を受け入れると同じなのだが。
人生は、変化するのが当たり前。
変化を楽しむのが、生き方の基本。
安定や出世や富などは、
変化の中で、ほとんど役に立たないのだが。
多くの人は、そんな単純なことがわからない。
(上記は2019年2月のブログ)