人の一生は、おもしろい。
ある人の今現在が不満でいっぱいなら、
たぶん、その一生は、不運の連鎖と解釈できるかもしれない。
もし、今が幸せなら、
幸運を呼び寄せる守護神が付きまとっていると
信じても、不思議ではない。
今、私は、満足している。
だから、過去を振り返ると、
守護神がいるのではないかと本気で思う。
私の場合、過保護が酷い。
当然、自立心のない子どもに育つ。
これではいけないと、
守護神が吃音を授けた。
弱い子も、吃音では、強くならざるをえない。
ただし、あまり強くなりすぎると問題だが。
私の人生途上は幸運の連続。
女性を求めていると、
私にぴったりの女性が現れ。
さ迷う20代は、転職が約20。
しかし、結婚、子供誕生で救われる。
いのちを失ってもおかしくない危険も、
無事に生き延びることができた。
仕事を探しているときは、
ぴったしの仕事が見つかり。
神経症で悩んでいるときも、
ちょうど相応しい課題が与えられて、
乗り越えた。
ボランティアも
まるで、私を待っているように
私に最適のものが現れ。
家が欲しいときは、
まるで用意されていたように、
魔法のように出現。
その後も、魔法はつづく。
努力や頑張りには無縁の生き方。
ただ、守護神の命じるままに生きただけ。
天使(娘)の発病さえも、
私には、これ以上の幸運は考えられない。
守護神がいると、
感じざるをえない。
ただし、私は神を信じていない。
結果論で見れば、
人生はいかようにも解釈可能。
どこにも不思議はない。