一昨日(17日)、「平成30年度 周南市人権施策推進審議会」に出席。
参加者は、委員11名、職員6名。
年1回の会合で予定時間は1時間半。
平成29年と30年の人権教育・啓発に関する周南市の取り組み報告が主な議事。
久しぶりに人権について考える。
私の40代・50代は、ボランティア中心の生活。
人権がメインだった。
人権は、自分以外の人についての思い。
なかでも、立場の弱い人に関することが多い。
だから、想像力・理解力・おもいやりが不可欠。
例えば、無実なのに死刑宣告されている人などが典型。
「裁判官が間違うはずはない」
そう思う人は、何も感じないだろう。
例えば、平気で盗みをする子ども。
「親が悪い」「しつけがなっていない」
そう考え、警察に任せればいいと思う人は、何も感じないだろう。
例えば、路上生活する浮浪者を見て、
汚い怖いから警察が早く排除してくれないだろうか。
そう思う人は、何も感じないだろう。
夜に、中学生のような子どもが盛り場をふらついていても、
ほとんどの大人は無視するか避けるか。
かかわりたくない、と感じる。
シリアからのボート難民が海で溺れようとも、
遠く離れた私には全く無関係なのだ。
人権に関心をもつというのは、
上記のような人たちのことを考え、思うことから始まる。
自分と違う他人がかかえる多様な困難や苦労や問題について関心を持つこと。
昨日の会で、人権擁護委員(14名)が毎月1回、人権相談を実施しているが、
相談に来る人が、どのくらいいるのか、質問してみた。
人権擁護委員という敷居は高い。
普通の人は、そういうところに相談に行かない。
もっと気楽な窓口はいっぱいある。
つまり、市内5ケ所で毎月1回の人権擁護委員による人権相談は、
現実、ほとんど利用されていない。
さて、人権の啓発・教育をするのが、人権推進課や人権教育課の仕事であるが、
実際なされているのは、講演会やセミナーのような一方通行の学びがほとんど。
会場が広い場合は、参加者を確保するために、いわゆる動員されることも多い。
人権啓発のパンフや冊子作りにもせっせと励む。
私がボランティアで人権にかかわるようになったのが、30年以上前。
ここ30年、社会の中で、人権は本当に根付いているのか?
日本社会で人権は受け入れられているのか?
私の答えは、ノー。
最近、大企業で頻繁に起こっていること。
製品の品質不正。
それも何十年にわたる偽り。
現場の職員が知らないはずはない。
なぜ、黙っているのか。
たぶん、声を出せない雰囲気があるのだろう。
学校でも企業でもサービス残業、過労死の問題。
こころの病による休職者が増えている。
何故、いじめやパワハラやセクハラで嫌だと言えないのか。
たぶん、声を出せない雰囲気があるのだろう。
人権で一番大切なのが、
意見を言えるという自由。
民主主義の基本。
30年前に比べて、
意見が自由に言えない世の中になったのだろうか。
ブログで前に書いたことであるが、
人は本当に困っているとき、助けを求めたりしない。
https://ameblo.jp/ringokoringo2/entry-12324019722.html
私の経験を書いた。
人権でなんとかしたいなら、助けを求めている人がやってくるのを
座って待っていてはダメと思う。
こちらか出向いて、探すくらいの熱意がないと。
人権で動く人たちの常識なのだが。
人権擁護委員が人権相談の日に会場に座って待っている。
それで人権が良くなるわけがない。
お役所は、毎年、同じような啓発事業をする。明らかなマンネリ。
ここに、
日本の人権が深まらない原因の一つがあるのではないだろうか。
もっと、民間団体やボランティア有志と一緒に活動のやり方を
変える努力をしないといけないと私は思う。
やり方はいろいろとあるのだ。