いじめの被害者は、苦しさを訴えない。

 

本当に苦しいときは、

苦しさを言葉にすると、

苦しさに立ち向かえなくなる、から。

 

昨日見た、いじめにあった体験談。

小学4年のとき、学級委員、

担任の教師からのいじめ。

 

「苦しみを言葉で再現するのがつらく、

心のバランスが崩れそうで言えなかった。」と

書いてあった。

 

私も同様な経験がある。

私の場合は、いじめではなく、吃音。

吃音の当事者の苦しみは、

周囲の人には、

なかなか理解しがたいものがある。

 

同窓会で中学や高校時代のことを話しても、

私が吃音であったことを知らない人がほとんど。

 

私の吃音は、最初の言葉が出にくい難発性。

要するに、言葉を出さないようにすれば、

どうにか、知られないですむ。

 

教師から質問されても、

黙って下を向いて、困った感じにしていれば、

「こいつは、質問に答えられない」のだなと

バカにされるだけ。

 

友人に出会っても、知らないふりをすれば、

挨拶しないでもすませる。

 

さすがに、面接で、

自分の名前も言えないようでは、

就職ができない恐れ。

 

皆の前で今日のスケジュールなどを確認する

当番になったら、さあ大変。

その日は、急病にして休まなければならない。

 

私の場合は、それほど重症ではなかったが、

軽い場合は、皆が気づいてくれないという問題もある。

 

障害が明らかな身体障害は、

周囲の人はすぐに分かるから、

障害者として対応してくれる。

目が見えない人に、「見て」とは言わない。

 

吃音の軽い場合は、

時にすらすら言葉が出る。

しかし、すぐに、どもるのだが。

黙っていれば、分からない。

 

異常に長い間、沈黙が続くと、

さすがに、相手も変だと思うが。

その時は、頭をかくとか、しかめっ面をするとか、

身体表現でごまかすことも可能。

「こいつは変なやつ」だと思われるが、

それでも、何とか、その場をしのげればいい。

 

日常生活には、

言葉を発することが不可欠な場面が多い。

吃音は、そのたびに、困難さに出会う。

夜、寝ても、吃音で苦しむ夢にうなされる。

吃音は、24時間の障害。

 

そんな苦しみを抱いて、

吃音者は生きていくのだが。

(治療法はない)

 

苦しさを、

できるだけ自覚しないで、

それを乗り越えるしかない。

 

苦しさを自覚すると、

立ち往生して、

困難に立ち向かえなくなる。

 

多分、いじめの苦しさを言葉にできなかった

投稿者も同じではなかったかと、思う。

 

苦しいときは、

苦しさを言葉にできない。

 

いじめの被害者が、

苦しいと訴えないのも、

こういう理由も考えられる。

 

私の経験から、思うことだが。