世の中にリーダーは多い。
日本では、総理大臣を筆頭に、
国会議員や市長、社長や教師もリーダーに入る。
あらゆる現場の責任者たちも含めると、人口の10%くらいはリーダーたち。
リーダーたちの中で、
特に自信満々の人がいる。
その分野でトップと自他共に認められている人たち。
安倍首相もこの中に入るだろう。
パワハラ問題渦中にある塚原夫妻も入るだろう。
ある事柄に秀でていても、
さすがに、人間の多様性に対応できるほどの人はいない。
人のありようは複雑で深い。
人を理解し受け入れ操作するのは難しい。
操作できるのは、最初から従順な人だけだろう。
権威やお金の力に弱い人だけが操作可能。
教師の場合、そういう生徒だけが扱いやすい。
それ以外の生徒は、排除するしかないか。
人を知るには、多様な経験が必要になる。
もちろん、本や当事者から学ぶことも必要。
それでも、未知が広がっている。
それを無視して進むのが、世のリーダーたち。
人を見るのは無理だから、
人選は適当になる。
大臣やコーチや担当者を選ぶのも適当になる。
学歴や経歴やコネを重視する。
部下が間違いをすれば、まず、かばう、
自分まで影響が及ばないように内部処理。
それに失敗すれば、弁解、言い訳、逃げの一手。
世のリーダーたち。
一番の問題は、
自分を過信していること。
世の中に、自分よりも優れた人がごろごろいるという、
単純な事実を知らない。
過信を治すには、失敗するしかないが。
リーダーと扇動者や教祖の違いは、
信念が強いか弱いか。
自分の考えに確信をもち、信じ切っている。
これは、扇動者や教祖。
リーダーは当然、いつも寛大で自己を外から批判できる人。
何事も、はっきりと明確な断言はしない。
自分が知らないことが沢山あると知っているからだ。
ここで反論が起こる。
リーダーがあいまいでは舟の舵がとれないではないか。
国の進路が決まらないではないか。
そう思う人は、
リーダーの力を過信している人たちだ。
例えば、東条英機が太平洋戦争を起こしたと信じる人たち。
実際は、東条がいなくても、戦争は起こっていた。
当時の日本は、戦争機運が国中に盛り上がっていた。
国を動かすのは、首相ではない。
首相はただの飾りでしかない。