年取ると悲観的になる。

人類社会の未来が心配。

もし、希望があるとしたら、と考えてみた。

 

情報はあふれているが、

肝心なことが知られていない。

 

人の感受性と知能に限界があるという事実。

人が外界を感知するのは、五感だけという限界。

さらに、脳の情報処理には、人特有の癖がある。

 

人は生い立ちの環境と遺伝子という制約からも逃れられない。

ここにも限界がある。

 

すべての人は、五十歩百歩。

圧倒的に優れた人はいない。

 

とても単純な事実。

歴史上の偉人と言われる人は多いが、

ただの偉人に過ぎない。

決して、特別な人ではない。

釈迦もキリストも例外ではない。

 

もし、仮に、

超能力ある特別の人がいたと仮定、

その人は、当然、自分の特別性を自覚するだろう。

 

もし、未来が見えるなら、

あるいは、人のこころが見えるなら、

宇宙の真理が見えるなら、

その事実を公表するだろうか。

賢い人は、そういう特別な力を、凡人に知らせるようなバカはしない。

死ぬまで、秘密にするだろう。

従って、もし、いたとしても、誰も知りえない。

 

未来を知らされて、喜ぶ人はいない。

こころを読まれて、喜ぶ人もいない。

真実を言われて、信じる人もいない。

それが、人という生きものの限界。

人の愚かさは、数万年後も変わらないだろう。

 

ただ、わずかだが、希望がある。

それは、現在、

感覚過敏な子どもたちが増えているという。

発達障害の子どもたちも関連しているかもしれない。

もしかしたら、

テレパシーができるような

新人類への進化が起きつつあるのかもしれない。

 

もし、進化が起こるとしたら、

人類の未来もいくらか明るくなりえるのだが。

 

注、

思いつきで書いたもので、思い込みや不正確な記述がありえます。

バカ者の戯言とお許しください。