人の一生は、途中で、大きく方向転換する。
若い頃から中年までの時期は、
真実を求める生き方。
正しいことを希求する。
正義、論理、科学。
世界や宇宙を理解し、隠れた法則を発見したり、
努力、精進し、目標を達成する生き方。
目指すは、ノーベル賞か、社会改革か、
この世を少しでも良くしようとする熱意から生じる。
困っている人を助けようとする理念。
自分のことよりも、世界や地球を考える志向。
たぶん、こういう感じ方や行動力が、
世の中を変えていくのだろう。
ところが、
人生も老年となり、
死を意識する頃になると。
自分の無力さに気付く。
さらに、
愚かさに圧倒される。
どんなに努めても、
知りえることは狭く、浅く、頼りない。
正しさなど、この世にはないのではないか。
定まったことはないのでは。
自身のこころさえも、つかみどころがない。
世界のすべてが、霧にかすんでいる。
未来を見る力も頼りない。
いかに、偉人で優れていても、
この限界は突破できない。
釈迦やキリストであろうとも。
死を前にすれば、
名人も偉人もただの愚かな人になる。
すべての人がたどる道だと思う。
正しさ、真実。という
もっともらしい価値や理念が消える。
それが老年。
ただただ、イノチを全うする。
それだけで充分となる。
おのれに与えられた運命を受け止めれば、
それで完璧。
ひとり一人、まったく異なる小道。
わずかに共感できても、他人に理解不能な個々人がたどる道。
そこには、正しさというような定まったものはない。
しかし、それでいいのだと思う。
まさに、救いかもしれない。
死は正しさを拒絶しているから。
追伸、
思いつきで書いたもので、思い込みや不正確な記述がありえます。
バカ者の戯言とお許しください。