昨日のブログ「佛教とキリスト教」で

よいコメントをいただいた。

 

一つは、

仏教は、特に大乗は、自我を生かすことに主眼を置いているし、キリスト教も神を自身の心の中に置くことで、個人の自立を目指しているように思います。
真の個人の自立には、宗教の役割は重要だと考えます。

 

一つは、

人は自分の弱さに気付いた時、宗教に救いを求めます。
人間の弱さに気付くとは、上記で言われる自立のように小さなものではありません。
もっとどうしようもないもの、人である事による運命的なものへの気付き
大きな他力の中に、あなたと言う自立が存在しているのです

 

宗教に関する私の知識・経験は、とても浅い。

私は、若い頃から、人の弱さや限界について考えることが多かった。

吃音という体験がもたらした役得と云える。

 

人は、感覚器官でしか、外界を知れない。

非常に限られた能力。

故に、もし、神がいたとしても、感知することは不可能。

 

現在の科学で、宇宙は三次元より他に次元があるらしい。と言われている。

約140億光年の全宇宙は、かつて、一点よりもさらに小さい、

10のマイナス30乗も40乗も小さいところに押し込められていた。

こんなことが信じられますか。

 

神もいない、宇宙の真理などない。

あったとしても、人には知りようがない。

人が運命を知りようがないと同様。

 

以上は、私の若い頃の認識です。

 

人は弱く、脆く、はかない、

悩み多く、愚かで、バカなままで死ぬしかない。

 

しかし、幸せにはなれる。

この世の生を楽しみ、味わうことができる。

 

さらに、人の世を、いいものに変えていくこともできる。

人は、ある意味、万能で、何でもできる。

すばらしい生きもの。