人材育成、

若い人をいかに育てるのか、考えてみる。

 

私は、学校時代、教師を当てにしたことがない。

そのためか、よい教師に出会っていない。

つまらない教師はいっぱい知っているが。

 

吃音も分からないで、人生、何をやってきたのか。

教師は、皆、吃音について無知。と感じていた。

これは、私の独断だったかもしれないが。

 

その私が塾の教師を20年も経験。

しかし、よい教師にはなれなかった。

お金をもらうと、どうしても対価としての教えになる。

教師の限界か。

 

指導するというなら、全人的でなくては、できない。

お金の対価では、できない。

 

さて、

人材育成を考えてみる。

まず、高卒後から。

 

大学への進学は勧められない。

そんな回り道をするのは無駄。

進学に要する経費を親からもらえるなら。

別の道を考えた方がいい。

 

高卒後、

今、したいことがあるなら、

すぐに着手した方がいい。

 

特別にしたいことがない場合。

まず、よい先輩、成功者、指導者を探し、

弟子入りすることをすすめる。

 

密着して、すべてを吸収する。

もちろん、弟子だから雑用は覚悟して。

 

もし、学ぶことがないと判断すれば、

弟子を止めればいい。

そして、新しい指導者を見つける。

 

これを4年も経験すれば、

大学をいくつも卒業したものが身に着く。

 

もし、間違って、私のもとに弟子入りするバカが現れたと仮定。

私はどうするか。

 

私は高齢だから、一緒に走るのは無理。

主に座学となる。

数学が好きなら、一緒に相対論でも目標にするか。

たぶん、途中から生徒の方が先に進むようになるだろう。

 

社会を知りたいなら、

市民運動の様々なタイプを一緒に学ぶか。

生徒に被選挙権があれば、議員に立候補させて、

選挙運動を実体験させる手もある。

 

障害者問題に関心があるなら、

多様な障害者と関わる体験をさせるだろう。

 

語学に関心があるなら、

少なくとも4つぐらいの言葉の勉強方法を教える。

 

高卒後、大学に行くのは、

あまりよいコースと言えない。

何故なら、同年齢中心の付き合いになる。

世界は広いのに、経験の幅が狭すぎる。

 

教科書や参考書を読んで、

まとめる、討議する、という形式では、

実体験が少なすぎる。

 

要するに、

知識や学びは、

必要に迫られてしか栄養とならない。

問題解決は、現実の中でしか、学びとならない。

一般論をいくら知っても、現実場面では役に立たないのだ。

 

現実の問題はすべて錯綜・矛盾している。

解きほぐすのが容易でない。

そこにしか学びの機会はない。

学校のいじめ問題がよい教材。

 

人材育成の基本は、

たくさん失敗させること。

そのような寛大な教育環境は大学にはないだろう。

進学は回り道だと私は思う。