「山口の吃音者集まろう会」
昨日、今宿市民センターで、9月の会があった。
新しい方が参加。
27歳男性、広島からはるばる2時間以上。
小学校の教師という。
生徒の名前を呼ぶとき困る、
保護者に電話かけたりも、
つらい体験をいろいろと聞いた。
臨時雇用3年を経て、本採用になったとか。
臨時の間、吃音とあいまって、
毎日がめげるような心境だったという。
よく乗り越えることができたと、
私は感服。
吃音の教師は、大変だろうと思う。
職場に理解者が多ければいいのだが。
教師はしゃべることが商売。
それなのに、
しゃべることが苦痛では、やっていけない。
過度の緊張、予期不安なく、
言葉が自然に口から出るには、
最初の言葉に意識を集中する習慣を変えなくてはいけない。
それが簡単ではない。
意識の集中を分散させるには、
しゃべるとき、他のことを考えればいいのだが。(そんな芸当はできないか)
何かの不安にとらわれるとき、
その何かを忘れることができれば簡単だが。
普通、人は、忘れることができない。
忘れようとすればするほど、頭にこびりつく。
不眠症の人が、眠ろうと意識すればするほど、
ますます、頭がさえてくるように。
アルコール依存の人なら、
アルコールを忘れようとしても、自然に頭に浮かんでくる。
忘れようと意識すれば、するほど、よりとらわれる。
意識のコントロールは、難しい。
プライドの高い人に、
プライドを捨てよ、と言っても、無駄。
その人の意識のありかた、習慣、態度、気持ちの持ち方、そのものになっている。
意識を変えるには、
別の人間になるのが、一番だが。難しい。
例えば、ネクラな人から明るい人に、
口数が少ない人から、おしゃべりに。
苦労を気にする人から、楽天家に。
人の性格は、固定したものではないから。
いくらでも変えられるはずだが。
前の性格の自分に愛着を感じて、
変えたくないなら、ダメだ。
吃音者は、一般的に声が小さい。
声を出すことに自信がない。
普通の人は、声を出そうとすると、口から出る。
吃音者は、声を出そうとしても、口から出てこない。
いつ出てくるか、
それが分からない。
自分の口だけど、
口は、自分から独立して、勝手に動く。
口は自分の一部ではなく、別のもの。
だから、
声を出すのは簡単ではない。
どもりながらしゃべる、
緊張して、顔がこわばり、喉のあたりが震えている。
何を言っているのか周囲に不明。
何か、もごもご言っている。
自己紹介しているのだが、
自分の名前さえ、うまく言えない。
こいつは変なやつ。
そんな場面を繰り返し、
自己嫌悪、
時に失笑され、穴に入りたい心境。
しゃべることに自信がないのは当たり前。
つづく