昨日、小川仁志さんの哲学カフェに初めて参加。
小川仁志さんについては、
下記の記事が詳しい。(かなり長い記事、約20ページ)
https://www.mag2.com/p/news/354973
哲学カフェを主催して、約10年になる。
昨日の参加者は約30名。
カフェの時間は1時間。
自由討議というよりも、
小川さんが議論を交通整理し、
哲学的思考の手がかりを与える、入門。
昨日のテーマは「公共」。
漠然としたテーマだが、
小川さんの哲学人生の出発点ともいえる。
上記のmag2.comの記事によれば、
北京の天安門で、小川さんは啓示を受けたようだ。
私と社会「公共」がつながったのだと思う。
それまでの小川さんの人生は、
自分中心の生き方だった。
大して努力しないでも成績は良い。
バンドや合コンで青春を謳歌。
いけいけドンドンの生活。
伊藤忠入社、台湾に語学留学、北京勤務。
すべてが順調だったが、
小川さんのこころは、眠っていなかった。
善き人生を探求したいという思いが生まれた。
ここから挫折が始まる。
一時は自殺も頭をよぎったという。
どん底からの這い上がり。
人によっては、
会社に勤めながらも、善き人生を探求できる人もいる。
しかし、一般的に、
会社に生きると、組織の生理に心身が侵食される。
時間的な自由さ、
何でもできる自由さがないと、
普通の人は、善き生き方を見つけることはできない。
ゲーテのように遍歴時代がないと、
普通の人は、大人にはなりえない。
ここでいう大人とは、
社会の中で、きちんと責任を果たせる人のこと。
上役や同僚や組織の論理に余計な気を使わないで、
自分独自の判断ができ、かつ、
実行できる人のことだ。
つまり、社会のしがらみから自立した人間のこと。
公共と私が調和している主権者のこと。
公共の問題を考えることは、
そんなきっかけになる。
つづく。