徳山夏祭り。45回目とか。

私が商工会議所勤務のとき始まった。

その頃の中心街は活気があった。

 

当地の港は、輸入量で全国4番目。

上位にあるのは、神戸、北九州(八幡港)、横浜だけ。

石油化学コンビナートの施設増設が続き。

中心街は平日も、夕方から夜遅くまで、

毎日が祭りのような賑やかさ。

 

その頃は、わざわざ夏祭りをしなくても、

毎日が祭りのようなものだった。

 

当地は江戸時代、長州藩。

藩財政ひっ迫から、税の取り立てが厳しく。

祭りのような贅沢は自主規制。

大きな祭りがなかった。

 

祭りは、楽しみごとが少ない庶民が、

年に一度か二度くらい、羽目を外すこと。

その日だけの無礼講。

 

私の子どもの頃、

氏神さまの祭り、近所の大人たちが上機嫌だった。

西町子ども会は約60名、子ども神輿も立派だった。

今は小学校の一学年の人数が約60名になったが。

 

現在、祭りを年に一度の楽しみとする庶民はいない。

祭りの趣旨が、街おこしや中心街活性化に変わった。

 

祭り日だけの賑わい。

人寄せのためのイベントが仕組まれる。

その多くは、イベント専門の業者が準備する。

 

当然、夏祭りだから、メインは、

市民や企業が自主参加の神輿や踊りのパレード。

 

それで、

「わがまち」という一体感を創出したいのだろう。

神輿を担いで踊って騒げば、エネルギーの放出になる。

エネルギーは一晩で消えるような感じだが。

 

21世紀は、文化や生活の質の時代。

浮かれて騒ぐだけの祭りから

進歩しなくてはいけないのだが。

 

前例を変え、

新しいものを創るには、

既成概念や既得権を壊さなくてはいけない。

そこが難しい。

 

日本社会の停滞を象徴するような

当地の夏祭り。