一般的に、年取るにつれ、幸福感が高まるという調査報告がある。

たぶん、過去の幸せを何度も味わえるからだろう。

そして、今、ここにいる、ありがたみも実感できる。

私も時に、世界一しあわせと感じることさえある。

 

人類社会で考えれば、

毎年、約2億人が誕生、約1憶人が死んでいる。

幸せな死を迎える人は、何パーセントだろうか。

おそらく、過半の人は、よい死ではないのではないだろうか。

 

吉田松陰のように

死刑の朝の、辞世の句

此程に 思定めし出立を けふきく古曽 嬉しかりける」

(訳)ずっと死を覚悟していたが、今日その日が来て 嬉しく思う

このように死をうれしく思う人も、稀かもしれません。

 

いくらかは、思いを残して死を迎えるのが普通の人でしょう。

 

現世のすべての人が幸せになり。

次世代も、人類世界の未来も、

明るく信じられて、死を迎えるなら、最高なのですが。

 

これだけは、叶わぬ夢のようです。

 

地球人類社会という、

宇宙から見たら、ちっぽけな共同体で、

今現在、数億人が耐えきれぬ苦しみの中にいます。

 

私も社会の一員として、

数億人の苦しみに、かかわりがあります。

 

勿論、私の知能・知性・感性では

そのわずかしか感じることができません。

 

あるいは、感じることができない、という

無責任性や鈍感や他人事感があるから、

私も、のうのうと生きていられるのでしょうか。