世界人権宣言。
 
人権という言葉は、偉そうな顔、いかつい顔で、よい印象を与えない。
私は、使いたくない文句。
 
たぶん、日本語訳に問題がある。
「おもいやり」くらいのやさしい言葉なら、
子どもたちも、素直に受け止めるだろう。
 
人権教育となると、
さらに、嫌な感じ。
教育という言葉が問題。
 
教育されて、うれしいことがあるだろうか。
私の経験から言っても、教育されたくない。
 
本当に本人のためになることは、
自然に、こころや身体や頭に染み入ってくる。
教えられなくても、ひとは学んでいく。
 
私の子どものころ、
最大のテーマは、吃音だった。
誰も何も教えてくれない。
吃音という名前さえ、知らない教師がほとんど。
 
しかし、「世界人権宣言」は時代を変えた。
この宣言のお陰で、いのちを救われた人が無数にいる。
たぶん、世界中のすべての人が、何らかのプレゼントを受けている。
その多くは気付いてはいないが。
 
ひとと生まれても、
食べられない、愛されない、教育も受けられない、
奴隷となるしかない、
野垂れ死ぬ人々が数限りなくいる。
 
私の人生は、ボランティアが中心。
40代と50代は、アムネスティ。
ノーベル平和賞をもらっているNGO。
何をするのかというと、
政府に逆らって投獄された政治囚を
監獄から救い出すのが、主な活動。
 
約4万人以上を助けている。
ネルソン・マンデラやスーチーさんもその中に入る。
 
活動内容を聞けば、
余程、危険なことをする団体と勘違いされる。
会員たちは大丈夫なのか心配になる。
 
そこは、二重三重に安全なやり方を工夫している。
だから、安全過ぎて、ものたりない人が出てくる。
 
報道する記者や、人権調査する学者など、
危険なことをやっている人は多い。
武器をもつ以上に危険。
 
悪いことをしている人たちは、
知られるのが、一番怖い。
 
調べるということは、
身を危険にさらすこと。
 
真理探究や学術なら、安全。
しかし、社会問題を調べるのは、命がけ。
 
つづく