昨日、自殺を予告するブログにコメントを書いた。
決意までに至る事情は、ブログから大体分かる。
闘病が長い(かなり重度)。
家庭の事情が複雑。
私の知人で自殺したのは二人だけ。
後から考えると、
一人は、離婚すれば、自殺しなくて済んだかもしれない。
一人は、公的機関に保護を求めれば、自殺は回避できたかもしれない。
生きるのは、それぞれ大変。
自力で解決不能な問題に陥ったときは、
他人の手助けを求めるしかない。
そのために社会の仕組みがある。
共同体がある。
一人ひとりの努力で、どうしようもない問題には、
皆が集まり、解決を目指すしかない。
お金がある人は、お金を出して。
お金がない人は、身体を動かして。
知恵のある人は、知恵を出して。
そうして、社会は作られる。
ルールや習慣が生まれる。
リーダーは、人々の意見や欲望を集約して、
集団で実行可能なことを行う。
リーダーが失敗すれば、交代すればいい。
民主主義は、リーダーをかえる仕組みがあること。
より賢明な指導者を生み出す仕組み。
指導者は、人格完璧な聖人である必要はない。
リーダーとしての任務や仕事ができる人であればいい。
指導者に人格まで求めていたら、候補者はいなくなる。
女に弱い男性でもいい。
お金にルーズな人でもいい。
社会の重要問題を解決できるなら、充分。
自分は特別偉いという自惚れだけが強い人はダメだが。
実務能力が、何よりも優先される。
安部首相は指導者として、どうか、と考える。
信念は強固、何があっても、憲法改正。
これだけは絶対にまげない。
新興宗教の教祖としては、適任だが、
国を治める指導者には向かない。と思う。
憲法を変え、国を守る軍備をととのえ、国民に道徳を広め、
日本を美しい国にしたいという信念は、すばらしい。
すばらしいが、生まれてくる時代を間違っていたのでは、ないか、と
私は思う。
21世紀末は、国境や国がなくなるだろう。
地域コミュニティが人々の生活基盤となるだろう。
経済や警察や金融のルールは世界共通になるだろう。
税ももちろん、世界共通に。
文化や言語や教育などは、地域社会が責任をもつようになる。
近未来の人類社会の予測だが。
安部さんの信念は、明治維新の頃なら、いいけど、
今の時代では、博物館入りだと、私は思う。
もし、100年前の日本人が、今の社会に出現したら。
同じ国とは信じないだろう。
第一に、日本人の顔が違う。
たぶん、百年後には、もっと変わっているだろう。
移民が増え、人々は多様な容貌。
多民族・多文化が共生する社会となるだろう。
日本の伝統文化は、よいところだけが生き延びるだろう。