昨日の会合(本の感想を語る)で、
記憶に残っていること。
人の自立は、
自分中心に考える見方から、
私たちを中心においた視点に変わること。
という意見があった。
幼い子どもは、自分中心の世界で生きている。
しかし、お母さんの気持ちが読めないままでは、
母親との良い関係がつくれない。
子どもは、自然に言葉が理解できるようになる。
そして、自然に周囲の人々の気持ちも分かるようになる。
うれしいことがあれば、兄弟や親と一緒に喜ぶし、
悲しいことは共に感じる。
つまり、共感力や思いやりが育つ。
自分中心から、他人の目で見る考え方と変わっていく。
私中心の感じ方から、私たちという広い見方に成長。
一つのものごとにも、多様な視点があると体験していく。
半分は本能だが、
本能が発現するには、愛情ある環境が必要条件。
虐待などの環境に育つと、
このような能力の成長がゆがめられる。
いじめで人を傷つけても、感じない子どもとなる。
中学や高校生くらいになると、
だいたい、大人と同じように多様な視点がとれるようになる。
そして、地域社会や世界についても考えるようになる。
昨日の会で、死刑廃止の問題も提起された。
死刑問題とは、簡潔に言えば、
「どのようにすれば、冤罪を防ぐことができるのか」という問題。
無実なのに死刑にされる囚人がいる。
死刑した後で、判決は間違いでしたと言っても、
取り返しができない。
裁判官も全能ではない。
人は間違いを犯しやすい生きもの。
どうすれば、誤判や冤罪を防げるのか。
もし、防ぐことができないなら、
死刑を止めるしか道はない。
死刑に代わる罪はいくらでもある。
終身刑もある。
一番の理想は、
犯罪を犯しても、罪を悔いて、社会復帰できること。
だが、人の教育は簡単ではない。
小中高などの教育機関の失敗をみれば、明らか。
今朝見た中に、おもしろい記事があった。
会社の採用に話。
「役に立つ人材とは、自律して行動できる人」とあった。
入社してからの教育は、できない。
自分の頭で考えることを、子どもの頃からやっていない学生は、
自律した社員とはなれない、ようだ。
下記は記事の要旨
「社内の教育・研修は限界がある。いつまで学校みたいな教育が必要ではない。
自律した社員は、厳しい実戦環境の中で、小さな失敗を繰り返しながら、先輩から助言をもらい、自分で勉強して育っていく。
上司の仕事は、社員が好奇心や挑戦心を満足させる環境づくり、仕事のチャンスを与えることだと思う。
ノルマや命令では、発明は生まれない。社員ひとり一人が才能をのびやかに解放することができれば、自然と、会社も質を伴った成長ができる。