<自然にあった気持ちよさ>
−−−−気功をするときはどういうことを意識すればよいでしょうか。
気功をやっているときは、気持ちよさに完全集中します。目的意識からぱっと離れてしまうと、効果が出てくるんです。それは潜在意識が、意識で強く思ったことに必ず反発するからです。気持ちよくやっていると、いつの間にか変わってしまう。ただ、その気持ちよさが、自然にあっているかが大切です。不自然なことをやっていて、気持ちがいいと思っても、それでは不自然なことを体にインプットしてしまっています。
−−−−気持ちいいことが、自然か自然でないかはどうやって判断できますか。
不自然な気持ちよさはエスカレートしていきますが、自然な気持ちよさはその場ですべて満足します。自然界に生きているものはたいへんなことにも出会うけれど、そのつど全面満足です。動物も、植物も、細菌も満足です。動物でも、動物園で長く飼われているものは、不満があるかもしれない。その場で満足できて、エスカレートしていかないものが自然の範囲です。
<習慣化すること>
−−−−子どものころも、体のことをされていたとご本で読みました。
宮崎の田舎の中学に行っていましたが、中国式の目の体操があって、毎朝放送部がカセットテープで流してくれるんです。全校生徒一緒に目の体操をして、最後に瞑想をして終わります。毎朝していたのは影響が大きいです。同じ時間に毎日するのが大事。なぜなら、習慣化するからです。色んな時間にばらばらにするよりも、時間が決まっている方が、無意識の習慣になる。朝になるとスイッチが入るわけです。それはとても助かっている。どの学校でもやればいいと思うんですけどね。特に高等教育に入る以前は、習慣として身につけたらいいことをやればいい。高等教育に入ってからは、好きなことを研究すればいい。それまでは、詰め込むことは不要なんです。
−−−−詰め込むことと、習慣化することは違うんですか。
知識を養うんじゃないんです。そこで養うのは、人間性のようなもの。昔の日本の教育は、人間性を養うところが大きかった。ですが今は、はじめからテクニックとしての知識を教えてしまっている。そうすると、人間性を育てるための時間が欠如してきます。いまは学校がある以上、カリキュラムも必要で、その中で上手にやっていくしかないです。が、高等教育以前の学校がするべきなのは、こんな知識がありますよと、パックにして渡していくだけでなく、人が最もその人らしく生きていくための土台を作ることです。その意味で、瞑想のような時間は有意義です。ちょうど、私が担当している京都造形美術大学の通信の授業で、北京にお住まいの方がレポートをくれたのですが、目の体操は「眼保健操」といって、今も北京の小学校の休み時間にやっているようです。同じように、日本の学校でも、こころを落ち着けて瞑想や目の体操をしたら、どれだけ効果があるかわからない。
<子どもに戻る>
−−−−ぼく自身、「進学校」といわれる私立の中高一貫の男子校で、知識中心の教育を受けたのですが、大人になった今からもう一度、必要な人間性を学ぼうと思うと、どうすればよいのでしょうか。
それは気功の大きなテーマの一つですが、一度子どもに戻るということです。子どもに戻ると、基礎的な素養のようなものを学ぶ余地ができてくる。ところが大人の状態、それも思考が中心になって働いていると、基礎になるようなことが全然吸い取れないんです。赤ちゃんが見本と老子が言っていて、赤ちゃんみたいに生きようじゃないかと、気功も発展していきます。思考的な働きがぽーんと飛んで、体の感受性がひらかれていて、ゆるゆるで、体もこころもやわらかで、通りがいい状態を作っていく。通りがいい状態をつくるのも気功だし、通りがいい状態でしていくことも気功です。後天的に身につけてきたことは、役に立つところもありますが、本当のことを学ぼうとしたら一回それを捨てなくてはいけない。捨てたからといってなくなるわけではないので、安心してぽんと捨ててしまえばいいです。
<性は他人のために動くこと>
−−−−『気功の学校』に書かれていましたが、「性は人の役に立ちたいという願い」というのがおもしろいとおもいました。
それは整体の野口晴哉先生が書いていたことですね。それがふつうのことで、特別なことではないと、皆さんが思われるようになるといいと思います。人類が続いてきているのは性の働きがあるからですね。子どもを育てて、また新しい子どもができて…というつながりがある。それら全てが性です。その中の一部分だけを性として見がちですが、それを広い目で見るようになると違ってくる。
−−−−大学生で性に悩むことなどは多いかもしれません。
年齢的に性の働きが顕著になる時期ですから、性やセックス自体に興味が出るのは正常です。あ〜よかったね〜ということですね。ただ、それが大きくなりますから、分散させることが必要なこともあります。
−−−−恋愛ができない、うまく行かないという悩みがあります。
基本的に性というのは、他人のために動くことで、エネルギーを昇華していくということです。誰かを好きになる、その人のために何ができるかと考える。その人を自分のものにしようとするとそこに苦しみが出てくる。どうやっても自分のものにならないですから。自分の力をその人に対して出して行ける人が、自然に近くにできます。それを待つといいです。
−−−−誰でもそういう人ができるものですか。
体の中にそういう欲求がある人はできます。それは頭の中の欲求とは別物です。子どもを作って子孫を増やしていく方向に動いている方は、自然に恋愛をして、自然にその人に尽くすようになる。そういうことをしない人もいる。それは体の欲求がないからなんです。他のところでエネルギーが大きく動いている。だから、必ずしも、パートナーを作らなくてもいいんです。