粉雪舞う公園を散歩。

雪は綿のように目の前を舞い上がっていく。

 

若い頃は懐かしい、だが、

あの頃に戻りたいと、私は思わない。

 

先が見えず、苦しかったけど、

当時、苦しさの自覚はない。

(本当に苦しいときは、自覚できないものらしい)

 

吃音は、良くなる兆しもなく。

大変だったが、

もっとたいへんなことがあった。

私の得意、勉強する能力が使えなかったことだ。

 

高校2年から、机に向かう勉強ができなくなった。

つまり、教科書や参考書などを使う勉強のことだが。

定期試験では、1分も1秒も自宅学習をしていない。

もちろん、予習もなし。

 

それでよく卒業できたと思う。

卒業時、ほぼ全ての科目が赤点すれすれ。

大学受験の願書を開封してみたら、

成績表は、オール2だった。すばらしい。

高校が4年なら、卒業は無理だった。

 

現役で大学入学。

勉強しないで合格できるような試験だったのか。

当然ながら、大学でも同じ状態が続く。

そして、退学するはめに。

 

帰郷しても、やはり、同じ状態。

今思えば、特定な事柄(勉強)に対する不安障害のような感じ。

吃音から生じた二次的障害だったのでないかと思う。

 

どうしても、きっかけがつかめなかった。

商工会議所に勤め、

結婚して、最初の子どもが生まれ、

それでも、先が見えない。

 

吃音で苦しみながらも、

転職を繰り返した。

 

きっかけがつかめたのが、

30歳を過ぎる頃。

大学再受験を考え始め、

放射線技師の短大受験を準備し始めた。

 

受験で、一番の苦手は、英語。

高校時代の不勉強が英語に集約されていた。

 

「ライ麦畑でつかまえて」サリンジャー著の原書を

本屋で見つけ、

1ページ目から、単語を調べながら読み始めた。

繰り返し、繰り返し、すらすら読めるまで、声に出して読んだ。

そうすると、3ケ月で読み終わるころには、

受験に必要な英語力が、ほぼ身についていた。

 

英語が克服できれば、あとは簡単。

6月から受験準備に入り、

高校3年分の教科書と参考書を約半年で仕上げた。

一日平均して10時間近く勉強した。

充実した受験時代。

この実感が、のちに学習塾を始めることにつながる。

 

「ライ麦畑でつかまえて」

私にとって、思い出深い本だ。

 

お陰で、自信がついて、

大きな山を乗り越えた。

それから20年して、吃音も次第に消えていった。

 

数学など科学への好奇心、

人のこころの問題や社会問題への関心は

ずっと変わらず、私の生きがいになっている。

そして、家族や愛についても、

生涯つづく探求の楽しみがある。

 

生きることは、私の趣味のようなものかもしれない。

すべて、このきっかけが

あったからこそと感謝している。