尊敬できる立派な人とは?

 

普遍的原則として、

すべての人は、生まれた時代の子どもだから、

時代と環境から自由にはなれない。

 

全ての思考は、手段として使う言語により制約されている。

要するに人の考えは、強いバイアスがかかっている。

 

釈迦やキリストも、時代の子ども。

 

現在は、過去に比べ、

格段に情報公開が進み、

個人情報についても透明性が高まっている。

 

従って、無条件に尊敬される人物もいなくなった。

 

総理大臣といえど、

多くの欠点が露呈している。

 

芸能人に人格の高潔さを求める風潮があるが、

無理な相談。

(不倫については、過去の日記で何度も私見を展開)

 
明治維新の英雄。
西郷隆盛について考えてみよう。
本当に立派な人だったのだろうか。
 
少なくとも、西南戦争を見る限り、
多くの有為の人材を道連れにしている。
 
政府軍も合わせて約1万5千の戦死。
さらに、国家予算一年分の戦費で国は財政破綻。
その影響で農民の疲弊。小作の増加。などなど、
西南戦争の罪悪は大きい。
 
道連れにされた人たちの中でも、
村田新八には同情が集まる。
長男を戦死させている。
(乃木さんと似ている)
親の立場からすれば、子を道連れにするのは理解不能。
 
ウイキペディアによれば、

村田新八は、

  • 明治10年以降、賊軍の将として遇されたが、大正5年(1916年)4月11日に正五位を追贈されて名誉回復した。
  • 西郷隆盛は曰く『村田新八は、智仁勇の三徳を兼備したる士なり。諸君宜しく斯人を模範と為すべし』と。
  • 勝海舟は村田を「彼は大久保利通に亜ぐの傑物なり。惜哉、雄志を齎(もたら)して非命に斃れたることを」と評している。
  • 平生、美術を愛し、また音楽を好んだ。家にいるときはいつも風琴(アコーデオン)を携え、容易に手を離さなかったようで、西南戦争従軍中も常に持ち歩いていたという。また、和歌も漢詩もつくる才人で、多くの作品や書簡が残っている。
  • 西南戦争では、シルクハットにフロックコートという格好で戦っていたようである。