中学や高校の頃は、
人生で一番、あぶない時代。
私は自分がそうだったので、よく分かる。
表面は、おとなしく、まじめで、
成績も良くて、そこそこ友達も多い。
そういう生徒こそ、あぶない。
我が校の生徒は、おとなしく、
先生方の言うことを、よく守り。
問題がない、と力説する学校ほど、
内部にマグマが溜まっているもの。
いじめによる自殺が生じた場合、
いじめが原因だと皆が知る前では。
自殺は、当人の個人的な理由とみなされる。
学校も、そのように対応する。
いじめの可能性が明るみに出て、
ようやく、校長も教師も慌てる。
担任も充分に把握していない生徒間の事情がある。
教師たちも心の準備がない。
校長さえも、暗中模索。
どうしていいのか分からない。
生徒の遺族へは、どう対応すればいいのか。
どこまでが学校の責任だろうか。
いじめを認めて謝罪すれば、
教師や校長としての管理責任や教育責任が
問われるのではないかという不安。
世間の糾弾が怖い。
まず、考えることは、
自殺した生徒の遺族に対して、
誠実にこころを込めて、遺族の気持ちを和らげる対応。
これをしなくてはいけない。
教育者としての、
当然の責務。
その上で、
自殺に至った経緯を詳しく調べて、
公表すること。
それも、できるだけ速やかに。
遅くなれば、それだけ、誠意が疑われる。
もし、校務などで、時間が充分にとれないときは、
クラスの授業を一時休んでも、行うべき責務。
最優先なのだ。
しかし、自殺の経緯は、明らかになるよりも
不明なことが多いかもしれない。
自殺生徒と同じクラスだけでなく、
同学年も全生徒も対象にして、
聞き取り調査も必要になるだろう。
アンケート形式よりも、聞き取りの方が入手できる情報は多い。
だが、聞き取りが下手な教師もいる。
威圧的・押し付けがましいやり方ではうまくいかない。
聞き取りには、地域の大人のボランティアの方がいいのだけど、
そういうボランティアに馴染んでいない学校もある。
肝心なことは、できるだけ早く、調査をまとめること。
それが、遺族への誠意のあかしとなる。
子どもたちのこころは、どんなに調べても、
分からないところがある。
それを踏まえたうえで、
調査結果を公表しなくてはいけない。
教師も校長も、
人のこころを理解する能力に関しては、
特別に優れた人間ではない。
だから、第三者の支援が必要かもしれないが。
できるだけ早く、調査結果をまとめるのが、
遺族に対する誠意の現れ。
学校の不祥事。
いじめによる生徒の自殺の件で、
学校の対応について、考えてみた。