ブログを、毎日書き始めたのは、

退職して、少し暇になったから。

草取りを始めたのも、同じ理由。

 

天使が発病し、民生委員など止めたが、

最近、福祉委員、市の公募委員もしている。

コミュニティのボランティアにも参加している。

天使の病気も安定しているからだ。

 

ブログを毎日書くのは、

何故か、考えてみた。

 

書くのが楽しい、

書きたいことが、いろいろある。

 

毎日の暮らしの感想。

散歩や会議参加などで見聞したこと。

読書で感動したこと。

 

一番書きたいのは、

未来の社会。

私の孫たちが死を迎える2100年頃のこと。

 

70年生きていると、

近未来が、かすかに見える。

希望や理想の投影もあるが、

こういう社会にならないと、

地球人類社会はもたない、という危機感もある。

 

話しは変わるが、

前日のブログで

成長や進歩はむずかしい、と書いた。ことで連想。

 

私が、もし、高校の校長で、

入学式や卒業式で挨拶するとして、

こんなことを言いたいと思った。

 

「新入生皆さんが燃えるような理想をもち、

一生の間、たゆまない誠実な努力を重ねるとして、

しかしながら、

晩年になり、自分自身を振り返ったとき、

自分のことを、成長したとか、進歩したとか、

若いときよりも賢くなったという

境地に達するのは、期待しない方がいいと、

私はここで、申し上げておく。」

 

「人は成長できない生きものなのだ」

「皆さんの前に立って、偉そうな顔をしている先生方、

私も含めてだが、決して、皆さんに比べて賢い訳ではない。

むしろ、退歩している方もいるかもしれない。」

 

「人が生きるというのは、努力することだから、

たとえ成長できないとしても、絶望もできない。

諦めたら終わりになるだけ。」

 

「私は悲観を述べているのではない。」

「成長や進歩がなくても、人生は充分に充実できるから

それでいいのだ」