人と人が尊重しあう。

互いに相手の人格を受け入れる。

つまり、自と他の違いを認め合う。

 

大人になれば、誰もできることです。

 

互いに尊敬し合う関係になれば、

思っていることは何でも言えます。

嫌なことがあれば、嫌だと言えます。

「それはちょっとおかしい」よ

「考え直した方がいいよ」

「ここのところが問題だね」

 

こんなことを言えば、

相手がどのように思うだろうか、などという

余計な配慮や気遣いや心配は不要です。

 

相手の信念やこだわりにかかわる、

非常に繊細な事柄であっても、

おかしいときは、「おかしい」と言うのが

大人の関係です。

 

もし、相手に神経症や強迫症があり、

特定の言葉や意見が、相手の精神を強く傷つける場合は、

すこし、やわらかい、おだやかな回り道をしなくてはいけないこともあります。

病人に対する対応です。

 

しかし、相手が正常で普通の大人なら、

原則的には何を言ってもいい。

 

「馬鹿野郎」とか「クズ」とか、出来損ないとかいう

罵倒や侮蔑の言葉や暴力がいけないのは勿論です。

礼儀や道徳の基本。

小学1年生なら分かることです。

 

理性的なことがらなら、

何を言ってもいい。

 

しかし、戦前、大多数の人々は

ものが言えなくなった。

 

人と人が尊敬しあうような

社会ではなかったからだ。

 

人と人には明確な差別があった。

特権階級もいた。

 

現在、すべての人は平等であるとする憲法のもとで

人と人は対等で尊敬し合えるはず。

 

顔色を伺ったり、忖度などは死語でなくてはならないはず。

誰かの、特別な念を思いやる必要はどこにありません。

 

大人の対等な関係なら、

相手が首相でも、

自分が正しいと思ったことは言える。

それが、民主主義の社会です。

 

つづく