私の人生はボランティア中心。

ボランティア精神が生まれたのが、

小学高学年からか。

 

吃音やら、なにやら。

人に相談できない悩みがあった。

親にさえ言えない。

もちろん、先生にも。

 

小説から学ぶしかない。

世の中には、多様なこころの問題があると知った。

その多くは、周囲に理解者がいない。

ほとんど孤立無援。

 

私にできるなら、

何かしたいと思った。

 

高校の頃、

進路を考えるとき、

私は、迷わず、社会的な活動を目指した。

 

大学では、もちろん、

学生運動。

 

不惑の年になり、生活が落ち着いたので、

いよいよ、ボランティアが生活の中心。

 

ボランティアとは、

社会の中に問題を見つけて、

自分ができることをする。

 

例えば、

精神障害者がいて、

誰からも相手にされず、

生き難さを感じている様子なら、

親しく付き合い、寄り添っていく。

 

これは、大変なボランティアだ。

私の場合、彼と30代後半から付き合い、

50代で死ぬまで、支援を続けた。

彼の死の、私が第一発見者。

(警察に詳しく質問されたが)

 

個人的支援は大変なので、支援例はわずか。

ボランティアの多くは、団体を作っての活動。

 

例えば、人権問題で。

     死刑廃止や外国の人権問題など。

例えば、市に情報公開条例をつくらせる活動。

     これは、条例が制定されたので、活動を終わる。

例えば、近所の中学校の支援。

いろいろある。

 

個人的支援と比べ、

活動するわりに成果がはっきりしないことが多い。

 

中学校の支援の場合、

まず、団体をつくり。マスコミに公表。

活動を始めた。

毎月、活動ニュースを会員に配布。

 

だが、実際に動ける人が、ほぼ私だけだった。

やはり、平日に活動できる人は限られる。

約4年、毎日、中学校に通った。(約50分くらい)

 

校内で新聞を出したり、生徒会と一緒にイベントしたり

いろいろしたが、

まず、先生方の理解は得られなかった。

「好き者が勝手なことをしている」という感じ。

 

当然、生徒たちにも理解されない。

かなりな徒労感をもって止めることになった。

ちょうど、母の介護が必要になったので、

それを理由にした。

 

ボランティアは、こういうものだ。

だから、

社会にもっと直接な影響を与える活動。

市会議員になる方が、いいのではないかと考え、

しばらく模索して、断念。

 

ボランティアと政治家とは

同じ土俵に有るというのが

私の考え。

 

収入の多寡は別にして、

目指すところは同じだ。

 

社会の問題を

一つ一つ取り上げて

解決を目指すという、

同じ理念。

 

だから、

私は、政治に関わっている人々には、

尊敬を感じる。

 

自分のことだけを考え、

自己本位の生活をするのではなく、

多数の福利を考えて、

日夜、社会奉仕している。

 

私は、ボランティアなので、

24時間の奉仕はできなかった。

ところが、

政治家は、24時間の奉仕なのだ。

 

安倍さんは落ち目だけど、

私は、敬意を感じている。