昨年まで一万歩できた。
今年から7千歩が限度に。
膝が弱り、痛みが生じるから。
道路は舗装されている。
膝によくない。
できるだけ公園内の土の上を歩く。
同じ公園内を、10周が目標(これで4千歩)。
妻に言わせると、
「公園内をぐるぐる回って、どこがおもしろいの」
近所の公園なので、
顔見知りが多い。
もし、倒れても、我が家は近い。
道路を歩くのと違い、
気を使わずに安心して歩ける。
考え事をするには最適。
公園で週3回、朝8時からゲートボールをしている。
約20名くらい。
ときどき、誘われる。
私が入れば、最年少だろう。
ゲートボールを眺めていると、
なかなかおもしろそうだ。
私の場合、朝は忙しい。
週3回は無理だが、週1回ならいいかと思う。
しかし、夏は暑い。
もう少し涼しくなったら考えようと思う。
話はころっと変わるが、
シリア、南スーダン、アフガニスタンで
子どもたちや大人が苦しみの中にいる。
不幸に取り巻かれても
ひとは幸せになれるのだと、ふと、感じた。
6年前、天使(娘)の不幸に直面した私は
当初こそ、肉親に話すとき、涙ぐむことがあったが、
すぐに状況になれた。
今では、生き甲斐にさえなっている。
どんなに苦しい不幸に囲まれても
ひとは幸せになることができるものだろうか。
もし、隣にいる人が苦しんでいるときでも、
ひとは幸せになれるだろうか。
他人の不幸は蜜の味。
かもしれないが、
現に、生きているということ。
生を謳歌していること。
体力があり、
身体の底から湧き出てくるエネルギー。
そのエネルギーを感じることが、
幸せのおおもとだが。
ひとは死ぬまで、
幸せを感じることは可能ではないか、と
ふと感じた。
感じる体力がなくなれば、
しかたないが。