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宗教の価値とは何か、を考えます。
若い頃は、宗教を新鮮に感じる時期があります。
此の世はわからないことばかり、
精神、こころ、魂や霊、
宗教に答えがあるのではないだろうか。と
重力を発見したニュートン。
瞬時に遠方まで働く力、重力は、
遠隔作用の力、魔法のような力
つまり、空間を隔てて直接に瞬時に作用する力。と考えられ、
数世紀もの間、
科学とは見なされなかった。
19世紀末に電磁波(光)が発見され、
やっと、重力も近接作用と考えられるようになり、
科学の仲間入り。
現代科学による自然の説明は、
まだ未知の領域が多く、
決して、満足できるものではないが、
此の世には遠隔力のような
魔法の力がない。という程度の結論は出せるようだ。
現在、
意識やこころがどのようにして生まれるのか、
そんな謎の解明も視野に入りつつある。
ヨーロッパの国々は
信者の減少が顕著で、
宗教の役割も終わりつつあるというのが私の印象。
人類の知性発達にあわせて、
自然への畏怖、
ものごとの原因を探ることが始まった。
宗教と学問は切り離せない。
ともに、自然の謎や掟に迫る道具だて。
共同体や国を治めるルールづくりにも
宗教や学問は役立った。
もちろん、産業や医学や生活向上も
宗教や学問の知識が活用された。
ヨーロッパでは特に、学問は宗教におんぶされて発達。
学問が宗教から独立したのは最近のことだ。
宗教も学問も、
此の世と自然を説明することが最大の目的。
人は何故生きるのか、
人が生きるとは、どういうことか。
人は自然の中の一要素にすぎない。
人は特別な存在ではないが、
自然を知る手がかり(知能)を持っている。
宗教が追求してきた、
生きる意味のようなものは、
学問や科学の研究対象になっている。
その確かな歩みから、
宗教の役割が終わりつつあると、
私は感じる。
もちろん、
あと、数百年は
形骸化しつつ、
かつての栄光への残照はのこるだろうが。