昨日朝、ブログを眺めていたら、

宗教のことが書いてあり、興奮してしまった。

おかげで週一回のプラゴミ出しを忘れた。

 

興奮するのは、まだ山っ気がある証拠か。

興奮のついでに、

屁理屈をこねる。

 

言葉とは何か。

その効用と限界は。

 

例えば、

赤という言葉を取り上げる。

 

赤とは色彩の一つで、

電磁波(光)の波長が0.8マイクロ付近を示す。

だから、どこからどこまでが赤であるか、

人(色盲も含めて)により、育った環境や文化により異なる。

 

つまり、

赤という言葉は、とても広い意味がある。

さらに、各人で異なる、赤に対するクオリア。

赤と言っても、伝える内容は、人により異なる。

 

例えば、

真理や正しさや愛という言葉。

これらは、

人により、意味や解釈が異なる。

使用される言語によっても意味が違う。

抽象名詞は意味を正確に一意に決めることができない。

時代により変遷していく。

 

唯一、普遍的な言葉として数があるかもしれない。

しかし、数や直線や円などの概念は、

人の想像力がつくった架空の概念であり、

実物はない。

 

実物はないから、

イチ(1)を持ってこいと言われて、

できない相談。

 

ただし、数学の前提にある、

個性のない数という概念はとても有用で、

宇宙に存在する無数の要素間の働きを考察するのに役立つ。

 

言葉の役割は、

記号であること。

何かを指し示している。

 

リンゴかもしれない、

赤いリンゴ5つかもしれない。

それ以上の意味は持ち得ない。

 

真理や正しさや愛という概念は、

譬えれば、無数の顔を持つばけもののようなもの。

ときにはいい顔をするし、

ときには怒って噛み付いてくる。

 

世の中の宗教は、

言葉(教典)で伝授される。

ここに限界がある。

 

すべての言葉は

人により、全く異なる意味に解釈される。

 

もし、人が

言葉ではなく、

テレパシーのようなもので、

意思疎通ができるなら、別の地平が開くかもしれないが。

 

どんな宗教、

どんな民族、

どんな国であれ、

いい人はいる。

悪い人もいる。

 

それしか言えない。