私は時々、
戦前に生まれていたら、と
空想することがある。
もし、昭和15年頃、高校なら、
海軍兵学校に志願しただろうと、思う。
私の祖父は、海軍燃料廠で職長をしていた。
釣り船を所有していたので、
士官をしばしば、釣りに誘っていたという。
母の兄が、ちょうど、その頃、
海軍兵学校に入学した。
卒業後、従軍し、海底に沈んでいる。
だから遺骨はない。
もし、私が知識人で
戦争の行方を予感したとしても、
その当時の人々と同様、
世相に逆らわず、
面従腹背で通したかもしれない。
前川元次官のように。
組織の中に生きると、
面従腹背はしかたないのかも
しれない。
私も現役で働いているときは、
基本的に面従腹背の生き方だった。
前川次官と同じだ。
官僚のクズだと言った人は、
さど、立派な人だろうと思う。
1931年満州事変が勃発、
戦争拡大への危機を感じて、
海軍の水兵を中心に、
戦争反対の運動が起こった。
もちろん、極秘の活動だが、
ビラを作成して部隊内で配布した。
6号まで続き、
多い時で100枚くらい。
もちろん、関係者は全員、処罰。
その一人が、
海軍二等機関兵曹
阪口喜一郎(享年31歳)
1933年、12月27日に
拷問と虐待のため獄死している。
戦争に反対する
勇敢な人々も
わずかだが、
いたことを
忘れてはいけないと思う。
詳しいことは下記のサイトを参考にしてください。
憲法とたたかいのブログ
阪口喜一郎「そびゆるマスト」の反戦兵士