いじめをなくす その2
教育の理想は、
各人の個性にあった成長をうながすこと
だが、
ひとには個性、というような固定的な性質は、
ない、と
私は思う。
人は環境と生き方しだいで
いくらでも変化できる。
しかし、
数学が苦手な人はいる。
約10%だろうか。もっと多いか。
いくら丁寧に教えても、
飲み込めない。
当然、掛け算や割り算は無理。
電卓を使えばできるが。
逆に、
少し教えるだけで、
10倍もたくさんを理解できる子もいる。
上記の2種類の子どもたちを
同時に同じ教材で教えることは不可能。
どちらも、数学が嫌いになるだろう。
数学の例をあげたが、
人付き合いも、苦手な子がいる。
人の気持ちが分からない子どもたち。
多分、様々な要因があるのだろう。
集団の中に入ると、
浮いてしまう。
いじめの対象にもされやすい。
私の親父がそういう人だった。
普通の人は、
誰に教えられるでもなく、
育つ家庭環境や学校で、
多様な人と付き合うことで、
人間付き合いを学んでいく。
集団で群れをなして生きる、
霊長類として進化してきた、
ヒトの本能の一つ。
仲間との協同や助け合いや
愛や信頼関係など。
集団維持に不可欠な要素。
しかし、
付き合いができない子どもたちがいる。
約10%だろうか。もっと多いか。
これらの子どもたちが
集団生活をするには
特別な援助が必要になる。
子どもの個性は、とても多様。
どんな経験ある教師でも、
理解できない子どもがいる。
例えば、
私も娘(天使)は、最近、
私が「草取りに行く」と言うと、
顔を崩して喜ぶ。
その嬉しがり方は、異常で、
よだれを流して、うれしそう。
どうして、と尋ねても、
天使は答えない。
天使は理屈はダメなのだ。
親の私さえも、
理解できない娘がいる。
親でない教師では、
理解できない子どもが、いっぱいだろう。
私が思うに、
30人学級なら、
担任教師が理解できるのは数名くらいか。
子どもの多様性に対応するには、
多くの大人が
一人ひとりの子どもに接し、関係を持つ
しかないと思う。
多くの大人がかかわれば、
その子の個性のいくらかを
受け止める大人がいるかもしれない。
つづく