この世の中に、
問題のない人がいるだろうか。
私はいないと思う。
私は子どもの頃から、吃音やら何やらと
問題がいっぱいで、
そして、
吃音の件、周囲の大人は誰も気にしてなかった。
(母親だけは少し気にしていたが)
その他の問題も、私だけの内なるもの。
他人に打ち明けても理解してもらえそうにない。
私は自分がそうだから、
人は皆、それぞれ自分だけの問題を抱えていることが
普通で当然と思っていた。
お釈迦さまやキリストさんは、特に、
人並みはずれて、問題多き人だったのだろうと思う。
多分、死を迎えるまで、
多様な悩みに苦しんだのだろうと思う。
人だから当然のこと。
もし、悟りがあるなら、
人とはそういうものだという認識ではないか。
例えば、
学校の教師を考えてみる。
当然、自分自身にも問題を抱えている。
さらに、家庭を持っているなら、
家族の問題が加わる。
それに加えて、
受け持ちの生徒が30名もいれば、
30名のいずれも、
大なり小なり問題を持っていると考えなくてはならない。
問題は、一見して小さく思えるものでも、
意外と根が深いものがある。
ある教師は、
朝の遅刻の常習生徒に対して、
いくら注意しても止めないので、
腹を立てた。
体罰くらいでは遅刻は止めない。
遅刻を止めさせるのも簡単ではない。
(上記の子どもの場合は、本人に原因はない)
しかし、現実は、
問題に気づかない人も多い。
多分、一生、気付かないままの人もいる。
私の親父がそうだったので、
私はそういう人が分かる。
中には、
自信満々で
ぴょんぴょん飛び跳ねている人もいる。
若い頃は、エネルギーに満ちているから
問題を押し殺せるエネルギーもあるのだ。
問題があっても、
人は生きていける。
その問題が破綻しない環境を見つければいい。
此の世には様々な職業やなりわいがある。
私が中学の時、
少年愛嗜好の教師がいた。
彼にとっては、最高の職場だった。
よりどりみどり、好みの対象が自由に選べる。
教師だからパワハラは可能。
私が彼のことを知ったのは、
晩年の彼を訪問したからだが。
そこで、少年愛嗜好を知った。
中学の頃は想像もできなかったが。
そういうように、
人の問題は分からない。
生徒たちは、自分を正直に出しはしないし、
また、生徒自身が自分の問題に気づいていないことが多い。
教師が知っているのは、
生徒の、うわっつらだけ。
表面的に問題行動がなければ、
それでよいとするのが管理社会。
さて、
安倍さんも、本人自身に、
問題が多いと思う。
私などは、時々、
可哀想になる。
天下国家を背負って、
あんなにギバっているのだから。
瞑想するくらいの時間を
毎日とれるゆとりがあるのかどうか。
私は心配だ。
つづく