最近、思うことがある。
ひとは傲慢だなあ、と
胎児や生まれたばかりの赤子は除けてだが。
例えば、
目が見えるひとは、
目が見えるというのを当たり前と思う。
見えて当然だと。
歩けるひとは、
歩けるという現実に疑問を持たない。
歩ける傲慢さだ。
普通に呼吸できるひとも、傲慢。
言葉を使うひとは、
言葉をあやつる傲慢さに気付かない。
まるで、その言葉は自分が創り、
自分の所有物のようだ。
国会での論戦を聞いていると、
傲慢さ同士の争い、にも聞こえる。
ひとは、病気になって初めて、
普通のありがたさが分かる。
普通であることは、とても傲慢なのだ。
どんなひとも
死を目前にすれば、
傲慢に気付くと思うのだが、
中には、死ぬ間際でも、
賞賛や栄華を欲しがるひともいるかもしれない。
健康も、ある意味
重症な傲慢病かもしれない。
真理や正しさも、
傲慢さを秘めている。
ひとが傲慢から逃れるには
死ぬしかないのかもしれない。