先月、古希になった。

同級の友人の約15%は鬼籍。

まだ元気で仕事している人もいる、闘病中の方もいる。

 

私は服薬していないが、

身体中、あらゆるところに、不調と機能低下を感じる。

だから、私の場合、

ひとり旅などはできない。(めまい、ふらふら、不整脈など)

入浴も長くできない。(カラスの行水で熱い湯はだめ)

 

先日、久しぶりに車を運転して隣町まで行った。

ひとりで運転するというのは、とても緊張する。

 

散歩も、

近所の公園内を歩くのが主になった。

公園内は土の上を歩くので、膝の負担が軽くなる。

さらに、もし倒れた場合、助けを求めるのも容易い。

知り合いがいるからだ。

車や信号などに注意しなくていい。

 

妻は、「公園内を歩いて、何が面白いの」と言うが、

同じところを歩く方が、気が楽だ。

 

年取ると、

外見にこだわることが、ますますなくなっていく。

人の中身や内面の方が大事になるのだろう。

 

源氏物語で、主人公たちは晩年、出家している。

私も、隠居など、現世から遠ざかるのが一番だと思う。

 

年取って名誉などが欲しいという心境が、

私には分からない。

世間から忘れられて、

亡き人のごとく思われる方が、気が楽なのにと思う。

 

それとも、

自分の人生が成功だったと、

他人からも賛美される方がいいのだろうか、

人は周囲の人たちから受け入れられ認められることを

最優先価値にする社会的生きものだから、仕方ないのか。

 

もし、厳しく自己を見つめる視線が生涯、続くならば、

過去に、どんなに大きな成功体験があったとしても、

今の自分を充分に満足させることはできないと、

私は思う。

 

過去の手柄は、過ぎ去ったことで、

現在の問題解決には役立たないからだ。

 

死ぬまで、未熟な中途半端で終わるのが

人というものだと思う。

死ぬまで、努力を怠ってはいけないが、

たとえ、目立つ成果はなくても。

 

70を過ぎて、リーダーとして活躍している人たちがいる。

私は思うが、

そこまでしなくていいのにと。

もし、知恵と実行力で、

誰にも負けないというほどの自信があるなら、

裏方に徹して、

若い人材の育成に努めた方が、

未来への投資として

より有意義だと思う。