今日は久しぶりの外出。
高校演劇部の劇を見てきた。
山口県立光丘高校の作品。
中国ブロック代表で、
3月20日に大垣市で開催される全国高校演劇大会で上演される。
今日の劇は、校内の簡易舞台。
私は演者から数メートルの距離で鑑賞。
そのため、補聴器で70%の言葉がつかめた。
劇の題は「みえない、いと」
子どもの貧困に関心がある私には、ぴったしのテーマ。
高校生らしい、友情、愛、進路への不安、
親子の葛藤、
若々しい感性で表現され、
私は涙が止まらなかった。
登場人物は高校生が中心で約10名。
長期間の練習成果、
各人物の個性が上手に表現されていた。
高校生でなくても、
友情、愛、親子間葛藤は、人生の大問題。
それに加えて、生きるためのお金の苦労は人である限り、普遍的テーマ。
70歳の私も、程度は非常に軽いが同様な問題をかかえている。
若いというのは、人を信じられること。
好意を寄せる相手に対して、
「あなたには私は分からない、ほっといて」(セリフは正確ではないが)
という場面がある。
分からせよう、分かってもらえるはず、分かって欲しい。
年取ると、そういう気持ちは薄れてくる。
相互理解は不可能、だから
可能な範囲で満足するしかない。
一定程度のところで妥協するしかない。
期待水準が低下して、
あまり期待しなくなるのが年取ることか。
しかし、
自分については、生涯変わらず、
期待し続けるのがいい。
できるだけ不可能なことを追求し続けるのがいい。
しかし、子どもや友人や同胞などの他人への期待は、
しなくなるのが老化のしるし。
愛も友情も同じだ。
求めることをしなくなる。
すでにいっぱいあるから、それで満足。
人の性格は決まったものではない。
どうにでも変わり得る。
人は誰も皆、いくらか多重人格。
多層で重層的な人格構造を持っている。
自分が何者であるのか、
多分、人は最後まで分からないのが普通。
努力する人は、日々変化していく。
私の場合は、
高校は吃音で大いに苦しんだ時代。
自宅で勉強するという、当たり前の習慣は皆無。
大学は学生運動だけして中退。
それから職歴20以上。
30過ぎて、少しマトモになれた。
今日の高校生は、
私の高校の頃よりも、ずっと大人に思えた。