昨年から近くの公園の草取りを始めた。
今年はすでに5回している。
毎回30分程度。
これ以上すると体力の不安がある。
私の守備範囲を勝ってに決めて、やっている。
10回すれば、私の範囲が終わる。
春先、梅雨前、真夏、秋、と最低4回はしなくてはいけないから、
一年で40回の草取り。
私の体力がある間は続ける予定。
私にぴったし運動。
監視社会と言われている。
監視カメラがあらゆる場所に設置されている。
私は、大賛成。
自分のプライバシーを考えると、
私について、基本的に隠さなくてはいけないことは、ほぼない。
すべて公開してもOK。
しかし、細部について詮索されるのは、嫌だ。
他人が納得できるように説明するのが、難しい項目もある。
個人的な好みや執着やこだわりについては、
経験がない人にわからせるのが、とても困難。
例えば、吃音の苦労など。
心理的な問題は、誰も、多少なりとも持っている。
心理的な問題が全くないという人はいない、と
私は思う。
ある意味で、人は生きるために、
自分の変な個性を大切にせざるをえない、と思う。
生きることは誰にとっても、大変な難行だ。
いくら才能と環境に恵まれても、大変。
大変だからこそ、幸せというような概念が必要になる。
楽だからいいとも限らない。
苦しみの方が、役に立つことも多い。
とにかく、一筋縄ではいかない。
誠実一路とおっしゃる人もいる。
こころざしこそ大切という人もいる。
そんなに単純ではありえない。
立派で良いことの中にも、良くないことが沢山含まれている。
逆もまた真。
癖のない人はいない。
悪い癖も使いようである。
どんな人でも、
本人以外の外部の人から見たら、
理解できないところがある。
伝記作家は、理解不能な部分は切り捨てるしかない。
社会にとって、
真に危険で有害な人物が、もし存在するとする。
どうすれば、社会は安全を保てるだろうか。
監視するしか方法はない。
沢山の人と付き合い、
人間関係の豊かな人は、
まず、安心できる人たちだ。
なぜなら、もし危険な要素があれば、
周囲の誰かが気付くからだ。
一番心配なのは、
付き合いが少なくて孤立している人。
または、
よそ者を排除して、外から隠れ、
内部を秘密にしている閉鎖的集団。
こういう集団は継続的に監視する必要があるだろう。
監視社会は、これから進化していくだろう。