かつての地域社会は、ほぼ自給自足。
ひと、もの、お金も情報も、地域内で循環していた。
地域の生活を支える多様な職種があった。
その道に熟練した職人たちが沢山いた。
例えば、建築関連では、大工、左官、建具、畳、造園など
其々、伝統的技法を習得した親方がいて、
弟子たちは、本物を見ながら、真似ながら
技法を受け継いでいく。
現在、職人はとても少ない。
我が家にリホーム関連でセールスに来る人たち、
ほとんどが素人。
あるいは、即席で取得したやり方し知らない。
どの仕事でも同じだが、
原材料の知識、素材の見分け方、加工の仕方、
さらに、多様な組み合わせ方、応用、
基礎から仕上げまでの全工程を
身に付けるまでは、
10年から20年は学び続けなくてはならないだろう。
試行錯誤を許してくれる仕事環境が必要だ。
失敗も受け入れてくれる職場環境が必須。
切磋琢磨する仲間がいれば理想だが。
現在、上記のような職場はないに等しい。
短期の成果が中心の職場では、
学びようがない。
同一仕事を繰り返すことで効率を上げるしかない。
それでは仕事の楽しさがなくなる。
職人がいなくなり、
仕事は可能な限り細分化して
責任を最小にして、無責任体制。
これが豊洲問題でもあるが。
これでは、いいものは作れないだろう。
巨大な、外見だけ立派なものはできるだろうが。
地域づくり、コミュニティ活性化には、
ひと、もの、お金、情報の地域循環ができる仕組みづくり。
そのためには職人が沢山いる方がいい。
よいものを作る職人。
仕事を楽しむ職人たち。
仕事は何であれ、ものづくりは楽しいもの。
顔の見える人から買うのが
一番安心できるし、
作ったものが喜ばれるのが
作り手のやりがいを高める。r