昨日のテレビで
東大合格者激増の高校を取材していた。
夏休みも登校して授業、
50名の多人数クラスで競争心をあおる。
クラス内の順位も張り出す。
受験に特化した高校だ。
かつての日本で、
高校は教養も重視された。
私は、受験が無意味とは言わない。
若者の頭脳は鍛えればいくらでも伸びる。
鍛えることはいいことだ。
しかし、記憶力だけが重要という教育は
いいことだと思わない。
現在、高校の教科書で学ぶ事柄は
あまりに狭い。医学も地方創生も少子化対策も政治もない、
心理学も音楽も芸術もないに等しい。
英語以外の語学もない。
勿論、探検や冒険もない。
その狭い中で競争することに意味があるのか。
疑問だ。
多分、記憶力が普通より優れている人にとって、
現在の教科書はあまりに容易いと思う。
もっと、広い範囲の理解や知識や問題解決能力を
試験しないと、よい人材を選ぶことができない。
昨日の高校のように、
受験だけに特化した高校は
まるで奴隷づくりをしているように
私は感じてしまう。