15年前、出身中学へ毎日通った。

3年半続けたボランティア。

7時50分から8時40分くらいまで、

校門で全校生徒と挨拶し、朝学を見学してから職場へ出勤。

朝学とは、生徒による自主勉強、主に読書。

 

朝学で、時にPTAによる読み聞かせがある。

私も10分くらいの時間をもらって、

短いスピーチをしたことがある。

 

今、中学生に10分ほどスピーチするとするなら

何を話すだろうかと、思う。

 

中学生は個人差が激しい。

まだ幼児のような子もいれば、すでに大人びた子もいる。

しかし、いずれにしても、自分が何者かは分かっていない。

大人でも自分の一部に捉われ、自己を客観的に見れる人は少ないが。

私も中学の頃は、吃音にエネルギーの半分は費やしていたから、

友達付き合いの余裕もなかった。

 

ほとんどの中学生は自分の世界、それも狭い世界に

閉じ込められている。

親や少数の友以外に人を知らない。

だから、学校行事で敬老会の手伝いなどのボランティアをするのが役に立つ。

 

中学生ができないこと、

いろいろあるが、

一番は、人のこころ、心情、気持ちが

分からないことだろうか。

 

大人にも人を理解できない人が多い。

その人が経験していない心情は理解できないのが当然だが。

例えば、健常者が障害者の気持を理解できないように。

先生が生徒を理解できないように。

 

中学生は生まれてから長年一緒にいる親の気持も

よく分かっていない。

親の行動や態度の一部への好き嫌いに捉われ、

全体把握ができなくなる。

 

親になってみないと、親の気持が分からないというのは

昔からあることわざだ。

 

小学や中学で学ぶ学科は、人の理解にはほとんど役立たない。

せいぜい、論理的思考の種をまく程度。

 

もし、また、話す機会があれば、

人のこころの理解に利するスピーチがいいと思う。

 

この世には、こんな人もいる。

こんな変な人も立派に生きている。

むしろ、人というのは、おかしいのが普通。

並みでないことの方が大事。

 

こういうことは学校では教えない。

できるだけ普通になること。

皆と同じようにすること。

規則は守ること。

学校での常識しか教えない。

 

この世を生きることが

つまらなくなるような

処世訓を教えている。

 

たとえは、悪いが、

人を殺して、死刑囚となったとしても、

人生を有意義に

生きがいをもって生きることができるよ、くらいの

明るい未来を

中学生に伝えられるスピーチがいいと思う。

 

つづく