教育基本法で、教育の目的は人格の完成を目指し、とあります。

教育の目的というよりも、人として生きる目的。

 

人格の完成とは何でしょうか。

人格の向上発展、あるいは人格の陶冶、辞書によれば、

人間の持って生まれた性質を円満完全に発達させること。

(同じことを述べているだけですが)

 

人はそれぞれです。

生まれながらに遺伝子が違う、環境が違う、

感性が違う、感じ方も身体の動きも違う、内臓の働きも違う。

病気は無数にありますが、病気への親和性も違う。

同じ人間は二人といません。

双生児といえども、異なる人間に育ちます。

 

ある人には楽なことも、ある人には苦になります。

例えば、吃音者には、

「おはよう」が言えない人もいます。

私の知り合いは、苦労して教員免許を得たのに、

「おはよう」が言えなくて、教職を断念しています。

 

小学校高学年で毎日遅刻する生徒がいました。

先生がいくら叱っても、遅刻は止まない。強情で不届きなやつ。

先生は生徒を見捨てました。

 

生徒には先生に言えない事情があったのです。

先生に、そこまでの理解力を求めるのは無理というもの。

 

子どものことを本当に分かって理解している親はいません。

どんな子どもも幼児期を過ぎれば、親の限界を知ります。

お金がない親に、子どもは耐えるしかない。

虐待する親にも耐えるしかない。

多忙な親に、一緒にいてくれと頼んでも無駄です。

自分の心を閉ざして、守るしかない。

 

子ども自身もまた、自分のこころと身体は未知の荒野。

 

人格の完成には、

自分の中の未知なところを知るだけでなく、

感じて、体験して、受け止めて、

もし、いじけたり、栄養が足りなくて成長が不足していれば、

しっかりと水やりして、育てることが重要。

 

自分の中の未知な領域を知るには、

大きく間違えるのが一番です。

 

人から馬鹿にされ、軽蔑される体験、例えば犯罪など。

解決不可能なほど、亀裂や欠陥や複雑な要因が一杯重なっている

そういう体験が、一番いいと思う。

 

悩みが多いほど、

苦労が激しいほど、

失敗や破綻が尋常でないほど、

人は自分を知り、大きく育つ可能性がある。

 

もし、ある人が、生まれてからずっと、全てが順調で、

誰もがうらやむほどいいコースを生きているならば、

その人は、とても大きな問題をはらんでいると、言えます。

 

失敗やしくじりや過ちなどは多いほどいい、

できれば、若いころにする方がいい。

年取れば、乗り越える力が枯渇していることがあるから。

 

若い頃は、エネルギーがある。

どんな困難でも

それを力に変えることができる。

 

最近の事件から感じたことを

思いつくままに書きました。

 

意味不明の箇所が多々ありますが、

最後まで読んでいただけたら、光栄です。