私の場合、
吃音がいつの間にか遠い昔になってしまった。
ここ20年くらい、意識しなくなっている。
最近、自分が吃音であったことを忘れそうになる。
今、子どもの貧困が、気になっている。
ブログにも書いている。
もし、母子家庭で、母親が仕事で忙しく、
子どもが小学低学年で吃音とかなったら、
と思うと。
いたたまれない。
吃音の子どもは、(成人の吃音者もほぼ同じだけど)
人間関係を作るのに特別な苦労する。
相手が話しかけても、適切に応えられないからだ。
口ごもって、声を出さないと、
変な子と思われる。
すごく推察力のある大人か先生が近くにいて、
よい援助をすれば、自分を伸ばすチャンスを見つけられるかもしれない。
母親が多忙では、母に頼れない。
担任の教師が吃音に理解がない人だと期待できない。
養護教師が発見してくれるかもしれない。
いじめられるなどの行動から
発見されるかもしれない。
吃音の子どもは、
どもりながら、つっかえながら、ぼそぼそ話しても、
周りの子どもたちや大人たちが、せかせることなく、
ゆったりと温かくつつみこんで、笑顔で待つような
環境づくりが必要だけど、
そういう環境をクラスに作ることができるだろうか。
学校がダメなら、
学校以外の居場所を作らなくてはいけないかもしれない。
吃音の相談に乗ってくれる機関はいろいろあると思う。
都会なら相談できる窓口があるはずだ。
手がかりをあちこちと回って、
理解しあえる仲間を見つけて、
共に戦っていける友達をつくるのが
大切だと思う。