若い頃の座禅は、結跏趺坐。
足背を左右それぞれのももに乗せる座り方。
この座り方が一番安定する。
50で膝が悪くなり、半跏に変えた。
片足だけももの上に乗せる。
還暦から足首も硬くなり、
普通のあぐらにした。
お尻や足首にクッションを沢山置かないと、
安定しない。
長く座り続けるには、安定した体位が必要。
将来、座ることが難しくなれば、椅子に座るしかない。
座禅に入ると、
50くらいまで、心臓の鼓動がよく聞こえた。
その後、耳鳴りがだんだんとひどくなり、
現在の聴力は、普通の人の十分の一以下になっている。
勿論、補聴器はいつも携帯。
最近は、耳鳴りがバックグランドミュージック。
私の耳鳴りは、蝉の声、沢山の蝉が鳴く。
蝉の声は、私が一番好きな音。
だから、とても好都合。
いつも真夏のような気分。
蝉の声を聴きながらの座禅となる。
心臓の鼓動音は昔と比べて小さいが、
ドクドクと拍動のたびに、
身体が揺れる感じは変わらない。
鼓動に合わせて、身体が揺れる感じが
また、とても気持ちよい。
身体が気持ちよくなる。
つまり、全身の緊張がなくなる。
腹式呼吸で一定のリズムを保ち、
こころの中を見つめる。
こころの中は、
執着、こだわり、好き嫌い、偏り、などにあふれている。
例えば、スカイダイビングして空を飛びたい。
海の中をシャチのように泳ぎたい。
アラスカの雪山でオーロラを見たいと思う。
全て空想だが。
若い頃から変わらず続く、執着もある。
多分、死ぬまで持ち続けるだろう。
私の楽しみの一つでもある。
私は理屈が好きだ。
私の理屈(理性)は、ほとんどが自己弁護や合理化。
大したものだ。
嘘や偽り、道徳的な悪、
もし、そんなものがあれば、こころの奥に隠している。
上手に隠しているので、
見つめたくらいでは出てこない。
それでも、自己肯定感は保たれている。
ひとは不思議ないきもの。
つづく