座禅しながらの瞑想。
これで、何度か助けられた。
ボランティアで頑張っていた頃、
いのちが危うい目に幾度も出会っている。
明日の対応に煩悶するとき、
瞑想しながら、
こころの声に耳を傾けた。
不思議に落ち着き、
何とかなると、
楽観的な気持ちになれた。
私の場合、
瞑想は唯一の相談相手。
悩みを打ち明ける友人は誰もいなかった。
たとえ、友人に説明しても、分かってもらえない、
非常にむずかしい問題だった。
大きな問題がないとき、
座禅の瞑想に入ると、
聞こえてくるのは心臓の音だけ。
そして、
心臓の拍動に合わせて、
全身に鼓動が広がっていく。
まるで、湖面に投げた石で
波紋が広がるように。
ボコボコという
心臓の拍動だけに
包まれた世界。
それが、座禅中の世界。
母体の中で胎児が育つとき、
胎児が受ける最大の刺激は、
母の心臓の鼓動だろう。
座禅しているときは、
胎児と同じような状態。
母の胎内で安心して
まどろむ。
私の座禅は、自己流。
本から得た知識だけ。
指導者はいない。
しかし、座禅歴は約40年。
充分に長い。
古稀を過ぎ、
自分の愚かさに気付くことが増えた。
74にもなれば、もう少し賢くなっているはずなのに。
私の座禅は、悟りを目指すものではない。
悟りなど、私には無縁。
人は愚かなままで年取っていくようだ。
つづく