長い人生を生きたと思う。
74年という経験から、学んだことは多い。
人が生きるとは、どういうことか、
だいたいが分かったような気がする。
私には、親友と呼びたい友が3人いた。
それぞれ、短い人生だった。
たぶん、生きるとは何か、知らないままで逝ったのだと思う。
一人目は、
高1からの付き合いA君。
京大卒で弁護士に、
三里塚空港反対闘争を支える弁護活動や、
公害訴訟、労働訴訟、医療過誤などに熱心に取り組んでいた。
急性心不全で突然死。享年32歳。
彼の誠実な人柄は、
死後に想い出として編集された
冊子「流星」に詳細に記載されている。
私と同級であるが、
今振り返れば、師と仰ぎみるべき人物であったかもしれない。
もし、生きながらえていれば、
社会活動家として功績を積み上げていただろう。
残念。
一人は、
鹿大のときの友。
文芸部で小説を書いていた。
心臓弁膜症で、幼少から二十歳までの生命と言われ、
人生を悟ったようなところがあった。
親密に付き合った時期、毎日8時間くらい一緒に過ごした。
相手が何を考えているのかが、伝わってくるような間柄であった。
突然死した。(多分、心不全)。享年26歳。
一人は、
短大のときの友。
目の鋭さが尋常ではない。
身体は全身筋肉のプロレスラー、ヘビー級。
喧嘩では誰にも負けたことがないと豪語。
おそらく、武蔵もこんな眼光、と思った。
俺より強いやつは遠慮なくかかってこいと、いうような、
鋭く相手に挑む目つき。
常に、戦っているような全身から漂う戦士の魂を感じた。
中3で、同棲している女の家から通学。
進学した高1で、野球部の4番でエース。
喧嘩が強く、強いやつがいると聞いただけで、
他校に乗り込んで、倒してきたという。
高校生で組員となり、
卒業時に校長先生が彼の将来を考え、
組から足を洗わせてくれたと言っていた。
一浪して阪大に入るが、
希望する学部ではなく退学。
その後は、プロゴルファーを目指したが、断念。
医療短大で私と一緒になった。
卒業後は、医療職を数年。
その後、久留米大の医学部入学。
そして開業。
たまに電話すると多忙だと言っていた。
心不全で突然死。享年56歳。
彼は、もし戦国時代に生きていたら。
まさに、大将の器だった。
三人に比べると、私は平凡そのもの。
74にして、ようやく、人生を知る。
時に、テレビを見ると、
なんと詰まらぬことで争い、アクセクするのか、
バカらしくなる。
人生で名を成すほど、
つまらぬことはないような気がするが、
人がそれを分かるのは、衰えてからだろうと思う。