Aと知り合い、びっくりしたこと。

ある日、雑談の合間に、

「楽しいことを何かしよう」と私が言ったら。

Aの返事は、

「楽しいとは、どういうことか分からない」。

 

Aの部屋に入ると、

刃物が沢山。

 

最初の頃は、常時、

ふところに刃物を隠していた。

 

部屋に沢山あるのは、

刃物がないと、

Aは不安になるから。

 

Aの過去を知るにつれ、

その不安が私にも判るようになった。

 

Aは幼児期以降、

親から凄ましい虐待を受けていた。

日本刀(真剣)で頭を切られるとか。

食べさせてもらえないとか。

食事も一人だけ別に与えられるとか。

ちょっと考えられない虐待だ。

 

小学校の時、良い点が付いた答案用紙を

持って帰ると、その場で破られたとも言っていた。

 

それ以上に凄ましいのは、

青年期から

悪いことをいっぱいしている。

人を騙したり、傷つけたり、

Aが主になってやったことではなく、

どちらかと言うと、やらされている。

(暴力団の年少な構成員)

しかし、やられた相手からは

非常な恨みをかっている。

 

当然、仕返しされないかと、

おびえて、びくびく。

瞬時も安心しておれない。

寝るときも刃物を離さない。

 

いつもびくびくと緊張。

24時間ずっと緊張の連続。

こころが安らぐことはない。

 

これでは楽しめないのも当たり前。

「楽しいとは何だか知らない」

そのとおりだ。

 

Aの周りに、気の小さいBがいた。

中卒で少し知恵が弱い。

まさに、いじめの対象。

 

脅しや恫喝で、

Bは震え上がった。

私はBに、

遠い所へ逃げるように助言するしか方策がない。

しかし、Bは逃げなかった。

そして両親の家の庭の木で首つり自殺。

(冥福を祈る)

こんな事件がいっぱいある。

 

私の妻も電話での恫喝で、神経症。

 

家族への実害が起これば、

私も考えなくてはならないと、思った。

 

しかし、幸いに。

Aの悪い仲間が減っていくにつれて、

Aは少しづつ、私に気を許し始めた。

疑いや警戒心が無くなった訳ではないが。

 

最期まで支援でき、私はほっとした。

約15年の間には、

拘置所に面会に行ったり。

自己破産の申請を手伝ったり。

もめ事の仲介や病気の相談。

生活保護の申請などなど色々。

 

Aの家庭の夫婦喧嘩で、

刃物を振り回すので、何度も警察が来ている。

 

私も警察が最後も頼りどころと思っていた。

一度も使うことがなくて好運。

 

ある日、Aのアパートに行ったら、

(すでに離婚して独居)

Aは死んでいた。(死後半日が経過)

(合掌・冥福を祈る)

 

私が第一発見者。

鑑識課と刑事が来て、調べられた。

すぐに、私の疑いも晴れた。

 

Aの葬式は、生活保護からの費用で賄った。

 

つづく