私は、10歳から50歳まで
吃音という障害があった。
10代と20代が特に大変だった。
声を出すのが、ままならない。
名前は特に言えない。
普通、名前を口にする状況というのは、
面接や窓口対応など、
即座の対応が求められる。
無言を続けて、長く口ごもると。
「名前も言えないのか、やましいことでもあるのか」
という感じの雰囲気。
さらに、
名前以外の言葉でごまかすことができない。
身振りや表情でかわりができない。
だから大変。
吃音は昼間に人と出会うときだけに
苦しむ障害ではなく、
夜も夢の中で吃音にうなされる。
私の場合、歯ぎしりが酷かった。
ところが、50歳頃、吃音が治り、
突然、歯ぎしりもしなくなった。
吃音は24時間の障害なのだ。
最初の音をいかに発するか、
吃音者はこれに苦心する。
私の場合、
とにかく、声を出そうと努める。
えーー、でもいい。ううーー、でもいい。
腹筋を力いっぱい緊張させて、
口から絞り出す。
そして、ひょっと、
意識がゆるんだすきに、
突然、言葉が出てくる。
口から言葉が出るという瞬間、
その瞬間がいつになるか。
全く予感できない。
言おうと意識すればするほど、
言葉は出ない。
意識しなければいいようだが、
もし、言葉を発することを諦めれば、
それで終わりとなる。
大事なことを意識しないというのは、
とても困難。
寝付こうと意識すればするほど、
眠りに陥ることが難しいように。
意識しなくなれば、簡単に眠れるのだが。
名前が言えないだけなら、いいけど。
おはようも言えない。
どんな言葉も、それを自分の口から出すことは、
自分の能力を超えている、感じ。
言葉を普通に発する世の中の人は、皆、一人ひとり、
天才で、超能力者のような気がした。