吃音について その2
吃音のおかげで学んだことも多い。
人がしゃべるという、当たり前のことも、
魔法のような、すごいことなのだと、身を持って知った。
中学や高校の頃は、何とかして吃音を治してやろうと
努力した。
そして、努力ということが、いかに、
むなしいか、身に沁みこんだ。
世の中には、努力しても、どうにもならないことが
いっぱいある、と。
人のこころは外から見ては、何も分からないこと。
どんなに苦しんでいても、悩みがあっても、
ぼんやり見ていたのでは、分からないこと。
多くの人は、ぼんやりしか、見ていないこと。
人のこころの不思議さ。
この世には悪人も善人もいない、
聖人もいない、
吃音のおかげで、10代の頃には知っていた。
そして、
高校の頃、思った。
私は、とても恵まれている、と。
その頃、私の将来の希望は
一つ、社会的活動で、そのお返しすること。
一つ、生きるとはどういうことか、知ること。
68歳の自分が甘く採点して
この二つは、どうにか、合格点とれるのではないかと
少し甘すぎるかもしれないが。
続く